ツアー・イベント
第28回 緑化ツアー報告(6)参加者からの報告
最後に、28次隊から野口綾子さんのツアーレポートをお届けします。
参加者の視点で報告してほしいと思いお願いしたところ、快く引き受けてくれました。現地で見聞きしたことから、たくさんのことを吸収し、思いをめぐらせていることがレポートから伝わります。
野口さん、ありがとうございます。
●遠いようで近い、活動背景にある歴史
旅の前、行先が昔の満州であったことも、瀋陽が北朝鮮に近い大都市であり、日本領事館脱北者駆け込み事件があった場所であることも、地理的、歴史的な位置づけを全く知りませんでした。
満州帝国についてはずっと前に観た映画「ラストエンペラー」と、満蒙開拓団のNHKドラマで知った程度でしたが、帰国後にあらためて関連本を見て壮絶な日中関係の歴史のある地域だったことを知りました。
中国残留孤児でモンゴル族の養父母に育てられた鳥雲先生、沙漠植林ボランティア協会、徳島隊(鳥雲先生の故郷から緑化に参加)、FoE Japanと、奇跡のような連鎖の末端に、微かにでも参加できことを幸運に思います。
偶然にも、私の祖母は沖縄からの満蒙開拓団として隣の吉林省に行っていました。終戦後の引き揚げは命からがらだったと聞きました。そこで祖母が戻れなければ自分はいないと思うと、遠い歴史や地域のようで近い。鳥雲先生からFoEまでの活動は、ニュースの「日中友好」や中国バッシングとは全く異なる、リアルな日中友好を見せてくれました。「国際協力」と言っても敷居が高い感じはなく、身近で、どこか懐かしく感じられました。
●日本と共通する社会問題も
砂漠を美しいと感じる自分は、根っから都会の会社員で観光客だと自覚しましたが、ここに暮らす人にとって、砂漠化というのは強烈な災害だというのは感じました。
都市と農村、日本と中国という二重のギャップも。この地域の人々は、砂漠化だけでなく、過疎と都市化(格差の拡大)、少子高齢化などにも、最前線で直面しています。村を離散するかを話し合うという成田さんの話は、出会った人々の雰囲気のほのぼのさから想像できなかったので、その深刻さにドキッとしました。
強力な政治体制、土地の権利関係などの法制度、一人っ子政策、経済発展の状況など、日本と異なる事情の重みは正直想像がつきませんが、日本の過疎地と通じる部分もあると思いました。少子高齢化や過疎化は、中国、韓国、日本が、世界に先駆けて直面する共通の問題だと思います。女性の社会進出はどうなっているの?年金や介護保険の導入は?そもそも介護施設など存在しない社会になっていくのか?など。古くて新しい問題に、日本の過疎地にいるのかと錯覚しそうでした。
●モンゴル人について
現地の人は、喜怒哀楽の表現がとても素直に、素敵に感じました。カタコトか手振りで話しかけると笑顔になってくれました。(日本に帰ると、意識的に視線をそらせている自分を発見)。いっしょに植樹作業をした子どもたちもかわいかったです。
寄宿舎で生活し夜9時まで勉強と聞いて驚きましたが、木を植える時のテキパキした動きは、きっとよくお手伝いしているか、寮生活をしているからだろうと納得。「ふだん何して遊ぶの?」とボウガン君の通訳で聞くと、「テレビを見ている」と意外な答えでした。
英語で一生懸命話しかけてくるので聞いてみると、小学校では中国語や英語を勉強しているのだそう。最近ではモンゴル族だけど子どもを漢民族の学校に通わせる親も多いとのこと。「モンゴル語を使えない「偽モンゴル人」が増えたが、仕方ないよね」とジリムトさんが言っていました。
協会の現地スタッフとして働き、いまは旅行社を立ち上げ緑化ツアーを案内するジリムトさんは、モンゴル人としての強い民族アイデンティティが印象的でした。「モンゴル人は仕事より友人を大切にする。その方がお金になるから。」「モンゴル人は物をもたない。古いものを大切にする。ちょっと頭がよくないね。」「モンゴル人は酔うと少し乱暴になるが、約束は絶対に守る。」など話してくれました。
砂漠緑化に参加したきっかけを聞くと、「地元の人が参加すればもっと緑化できる」と思ったこと、夜遅くまで日本語の練習をしたこと、人が多く賑やかだった砂漠宿舎が本当に楽しかったことを話してくれました。成田さんや和田さん、ジリムトさん、松村さんなど長くこの活動に携わってきた人の思いを垣間見ました。この活動をきっかけに日本に留学していった若者もたくさんいたそうで、個人に与える影響は想像以上に大きいと思いました。
●心に木を植える共同作業
311の震災や原発事故以降、自給自足の田舎暮らしに憧れるようになっていたので、ここの農村で見た循環型の暮らし、荷物をなるべくもたない慣習、古いものや人のつながりを大事にする価値観に強烈に魅かれました。
おばあちゃんの子どもをあやす手、農家のお兄さんの牛の扱いや馬車の手綱さばき。スイッチオンのデジタル世界ではない、人の熟練の動作、道具捌きにも魅かれました。
家族で川の字で寝るオンドル、青空トイレ、友人知人を大切にする、村で助けあう、物を持たず無駄にしないシンプルな生活は、合理的で自然に見えました。街灯も自動販売機もなく、車の音もしない、蛙と犬の鳴き声、風の音だけが聞こえる砂漠宿舎の夜は、平穏で幸福に感じました。
メンバーの感想にあった「自分の心に木を植えた」という表現はその通りだと思いました。
役所で労働相談を受ける仕事で、日本社会の矛盾を実感したり、今の生活で心が砂漠化することはたくさんありますが、モヤモヤしていたものがなにか繋がりそうな気がしました。具体的な行動に結び付け、いつか心に木を植えてもらったお礼をできたらと思います。
いろいろな意味でとても印象深い旅で、スタッフの皆さんも参加者の皆さんも、私の不躾な質問にも快く付き合ってくださり、本当に感謝します。謝々、タルチュラー。
(報告:野口綾子)