ツアー・イベント
第28回 緑化ツアー報告(3)
●砂漠に緑がもどるまで ―包書記のお話から
雨で待機。気功やヨガ教室も始まった |
こんなに雨の多いツアーは初めてでした。今回はダチンノール村での植樹作業を1日半予定していましたが、その初日は朝から雨もよう。作業を見合わせ、ウルスン地区の書記・包(ホウ)さんに、お話を聞くことにしました。
急なお願いにもかかわらず緑化隊のいる宿舎に来てくださり、この地域の砂漠化について話してくださいました。
包書記は、緑化を始めた当時から熱心に取り組んできた方です。ここでの活動は1994年、クブチ沙漠やゴビ沙漠で実践的な技術・経験があった「沙漠植林ボランティア協会」が烏雲(ウユン)先生と出会い、地元政府に協力要請を受けたことから始まりました。
烏雲(日本名立花珠美)さんは3歳のときに満州に渡り、7歳で終戦を迎えました。日本人集落が集団自決し、肉親と死別する苦難を経験し、ひとり生き残った烏雲さんは、モンゴル族の養父母に育てられ、大学を卒業し教師となりました。
烏雲先生が作った詩 |
国交回復後、徳島にお兄さんがいることがわかり日本への帰国がかないましたが、「私を育ててくれた養父母と中国に恩返しをしたい」と中国に戻り、教師を続けました。
協会会長の菊地さんは、烏雲さんの恩返しに協力したいと考え、ここで緑化を始めることを決めました。烏雲さんの教え子たちをはじめ、現地政府や専門家が協力し、活動がスタートしたのです。
そして地元の人たちとスクラムを組み、効果的に緑化を進めてきました。
私たちは2001年に、協会に指導を仰ぎ活動を始めました。包書記にはこれまで、ご自身の設計した緑化地を見せていただき、緑化手法を教えていただきました。
緑化を始める前の状況、その後どう変わったかをお話しいただくと、緑化隊から次々に質問がでました。
砂漠宿舎でお話を聞く |
――緑化を始める前、ここはほとんど砂漠でした。内モンゴルのなかでも、この地域は砂漠化が顕著でした。砂が飛んできて住居や畑が埋もれてしまう状況でした。いまは緑化できて砂が固定され、畑もよくできるようになり、牧草も作れるようにました。
「緑化を始めるとき、地元の人はどう思いましたか?」
――はじめは緑化に取り組む人、そうでない人は半々でした。それぞれに場所を分け、木を植えて育ったらその人のものになるというやり方で始めて、だんだん成果がわかって、いまではみんなが取り組むようになりました。
「土地制度はどう変わったの?」
――かつて人民公社の時代は、みんなで畑をつくり、収穫も分けていましたが、90年代から変わりました。家族何人、家畜何頭を基準に土地を分けたのです。砂漠を緑化すると補助をもらえたり、木を植え根付いたら「林権証」をもらえるなどの制度ができたことが、住民の緑化意欲につながりました。
「緑化は期待通りに進みましたか?」
――私は成功すると思っていました。住民は緑化したくてもお金が足りなかったけど、1年目、2年目と分けて植えていきました。回復は思ったより早かったですね。干ばつが多いので、いろんな樹種を植えるようになりました。
「放牧を制限されて、住民の生活は困らなかったの?」
――ここは緑化地、ここは放牧地、と計画を立てて緑化を進めました。 草を根こそぎ食べるヤギ・羊が多かったことが砂漠化の大きな原因でした。ヤギ・羊の放牧を禁止してから、牧畜は牛が中心になりました。畑や水田もよくできるようになって、農牧民の暮らしは以前よりずっとよくなりました。