【声明】3.11から12年-福島原発事故の被害を直視し、原発も核もない未来をつくろう
東京電力福島第一原発事故の発生からまもなく12年。FoE Japanでは以下の声明を出しました。
2023年3月10日
国際環境NGO FoE Japan
声明:3.11から12年-福島原発事故の被害を直視し、原発も核もない未来をつくろう
東日本大震災とそれに続く東京電力福島第一原発事故から12年がたとうとしている。
それまで「安全」だとされてきた原発が相次いで爆発したときのあの衝撃を、私たちは決して忘れない。「5重の壁」で閉じ込められていたはずの放射性物質は、環境中に広く拡散した。原発事故は多くの人たちの人生を一変させた。避難を強いられ、ふるさとや生業を失った人もたくさんいる。今なお、少なくとも2万7千人以上の人たちが避難を継続している。住宅提供をはじめ公的な支援はすでに打ち切られ、避難者の中には家賃の支払いに苦しみ、孤独の中に取り残される人もいる。
ALPS処理汚染水、除染によって生じた汚染土の処分について、大きな議論となっているが、これらはいずれも福島第一原発事故の規模の大きさ、問題の複雑さを物語る。
「風評加害」という表現を目にすることがあるが、放射性物質の拡散に警鐘を鳴らす人々をあたかも加害者のようにレッテル貼りすることは、健全な言論空間をゆがめ、人々を分断することにつながる。原発事故を引き起こした責任は、一義的には東京電力、そして原子力政策を推進してきた国にあることを忘れてはならない。しかし、事故の被害と同様、その責任もまた、「見えない化」されてきている。
ALPS処理汚染水については、国・東電は今年夏前にも海洋放出を開始する方針だ。しかし、漁業者をはじめとする関係者の理解は得られていない。問題なのは、東電は、処理汚染水に残留する放射性物質の核種ごとの総量を示していないことだ。何がどのくらい放出されるのか不明なまま、放出の準備だけが進められている。
政府は、除染によって生じた土のうち、セシウム134、137について8,000ベクレル/kgを下回るものについて、公共事業等への再利用を進めようとしている。これは原子炉等規制法のもとで放射性物質としての管理を必要としないとするクリアランスレベル(セシウム134、137の場合100ベクレル/kg)の80倍に相当する。また、政府はセシウム以外の放射性物質については測定をしない方針である。福島県内で進められようとした実証事業のうち、二本松市原セ才木地区、南相馬小高区羽倉地区では、住民の反対により環境省は計画の撤回を余儀なくされた。首都圏で計画されている実証事業でも近隣住民が反対している。放射性物質は集中管理が原則である。私たちは、処理汚染水の海洋放出、汚染土の公共事業等への再利用に反対する。
2022年からはじまったウクライナへのロシアの侵略は、戦争の悲惨さとともに、原発の危険性や核兵器の恐怖を世界につきつけた。私たちはあらためて、犠牲となった方々に心からの哀悼の念をささげたい。また、ロシアに対して、即時の停戦と撤退を求める。
岸田政権は2022年7月下旬、GX(グリーントランスフォーメーション)実行会議を立ち上げ、原発回帰の政策検討を指示した。それからわずか半年余りで、民意不在のまま、原発再稼働や運転期間の延長、次世代革新炉の開発・建設といった内容の法案が閣議決定され、今国会で強引に決められようとしている。これは、戦争によって引き起こされた国際的なエネルギー価格の高騰などを背景とした人々の危機意識に便乗した「ショックドクトリン」ともいえる手法である。
政府は、原発推進の理由として、原発が「エネルギー安全保障」「電力安定供給」「自己決定力」などに貢献するとしている。しかし、これらはいずれも誤りだ。原発の燃料となるウランは、化石燃料と同様海外に依存しており、国際情勢によって左右される。原発がテロや戦争のターゲットになる可能性もある。原発はトラブルが多く、1997~2010年までの事故故障等の報告件数は267件にものぼる。大規模集中型電源である原発が計画外に停止すれば、需給ひっ迫リスクを高める。
世界的にみても、原発の発電コストは増加を続けている。原発の建設費はすでに1兆円を超え、今や原発は最も高い電源となっている。日本でも、再稼働のための安全対策費、維持費、廃炉のための費用がふくれあがっている。東京電力は柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働のための安全対策費に1兆円以上も費やしている。
原発はグリーンでもクリーンでもない。ウランの採掘から燃料加工、原発の運転、核廃棄物の処分、廃炉に至るまで、環境を放射性物質で汚染し続ける。また、原発を運転することは、何万年も管理が必要な核のごみを生み出し続けることになり、将来世代に大きな負の遺産を残す。
私たちは原発事故の被害を直視し、原発も核もない、平和で持続可能な社会を求め、世界中の人々と連帯し、歩みを進めていきたい。