2006年12月の山火事が起きたとき、私のコミュニティーは、なすすべがありませんでした。私の家は幸運にも、垣根の一部を失っただけでしたが、隣人達は皆、家を失いました。町への水供給は遮断され、電線は焼け落ち、電話、ラジオ、テレビは止まった。そして、若い消防士が一人犠牲になりました。私は被災後の緊急援助の洪水に心が休まることはありませんでした。普段、私たちオーストラリア人は悪戦苦闘の一日が終わった後、冷蔵庫の冷たいビールを皆で分け合うのが大好きなのですが、この山火事を克服した後のビールはけして美味しいものではありませんでした。ただ、この山火事がもたらした良いこともありました。私たちのコミュニティーはより打たれ強く、他者を思いやることができるようになったのです。
ジュリア・ウェストン と フランク・ジルズ
(ブルーベリー、サクランボ、畜産農家)
私の農場のある地域では、毎年、年間40インチの降水量を見込んでいます。しかし、昨年の雨量はほんの16インチで過去最低でした。毎日どんどん乾燥していき、牧草も、収穫も、家畜も、小川もみんなしなびてしまいました。川には農園を何とか続けられるだけの水量しか残りませんでした。さらに異常な天候は続き、やがて山火事が起こりました。植えたばかりのブルーベリー園を守るために山火事と闘わなければならなかったのに、サクランボ園への道は遮断されていました。
気候変動の影響と将来の脅威に対して懐疑的な人々もいます。しかし、私たちは異常気象が想像を超えた形で事態を急変させる可能性があることを心配しています。ブルーベリーは十分な冷気が得られなくなるかもしれないし、灌漑の水は足りるか、飼料はどのくらい蓄えておかないといけないだろうかと気がかりです。
数年前から私たちは化学肥料を使わずに土壌の生態を改善し、自然のメカニズムを回復させる「バイオ農業」への転換を始めました。将来、気候変動の影響を受けるのであれば、農業は柔軟かつ多様でなければなりません。自然にあらがうのではなく調和する農業を学ばなければならないのです。
ハンナ・ルーベンナーク
(29歳、ボランティアの消防士、学生、介護ワーカー)
干ばつで山火事が起きました。消防士と農民たちは、ぎりぎりの極限状態にまで追いやられました。山火事の季節にしては、火焔がこんなに早く? 皆、とっさに、ことの重大に気づきました。湿度は10%を優に下回り、風はすこぶる強く、山火事の速度、大きさそして猛烈さを目前にして私たちは無力でした。
人々は衝撃を受け、そして怒りました。山火事の極限状況に対して怒り、サービスが中断し、復旧までに時間がかかることに対して怒りました。山火事は電線や電話線、ラジオ・テレビ・携帯電話の送信塔を焼き尽くし、倒木と落石で道路を閉ざしました。
いたるところから多くの同情と寄付が寄せられました。励ましの手紙は、疲弊した消防隊を元気づけました。タスマニアやオーストラリア全土から寄付と支援が届き、人々を再び奮い立たせたのです。
干ばつと山火事の歴史を持つ、乾いた熱い国、オーストラリアは、さらに未来の脅威にさらされています。オーストラリア人社会は適応能力がありますが、アボリジニの人々は恵まれていません。たとえ小規模の気候変動でも国土の景観を激変させ、希少生物を絶滅させる可能性があります。
情報提供:ポリー・バックホーン、ステファニー・ロング / FoE オーストラリア
協力:オクスファム オーストラリア
(Voice from communities affected by climate change)