脱原発・エネルギーシフトに向けて
[報告]アレクサンドル・ヴェリキン氏来日講演
「チェルノブイリ法」への道のり ―権利を勝ち取った苦難の歴史
5月16日~22日、ロシアのチェルノブイリ法制定の立役者となったアレクサンドル・ヴェリキンさんが、FoE Japan、福島老朽原発を考える会、福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)の招聘により来日しました。滞在中はNGO・弁護士と会合、議員会館での集会、福島や東京での講演会など精力的に日程をこなされました。
講演会でのお話について、みなさまのご質問にこたえきれなかった部分を補足してまとめました。
不十分な点もありますが、暫定版としてご報告します。
アレクサンドル・ヴェリキン氏来日講演 まとめ(暫定版) |
◆アレクサンドル・ヴェリキンさんについて
1953年レニングラード生まれのヴェリキンさん。レニングラード工業大学卒業後、1986年チェルノブイリ原発事故処理のため召集され、3ヶ月間作業に従事しました。
その間、なんども高線量領域での作業を行い、被ばくしました。1987年2月、救急車で運ばれました。胃潰瘍という診断でした。放射線被ばくとの関係を審査する委員会で、「放射線被ばくとの関連はないが、事故処理によるストレス」と認定されたそうです。
1990年ソ連邦チェルノブイリ同盟大会へ代表団員として参加し、その後、同盟の幹部として、「チェルノブイリ法」の制定に貢献しました。作業労働者、原発事故の被害者の権利を擁護するために活動に従事しています。
◆チェルノブイリ法への道のり
1.チェルノブイリ法制定に至る経緯
1986年に発生したチェルノブイリ原発事故は、たいへんな被害と汚染をもたらしました。事故の収束のため、65万人もの軍人や専門家が作業に当たりました。これらの原発事故収束に当たった人々は「リクビダートル」と呼ばれました。
しかし、命をかけて収束作業を行ったにもかかわらず、リクビダートルたちの健康被害に対して国の補償が行われませんでした。89年にはリクビダートルたちの同盟が各地に形成されました。そして、多くの避難者や住民もリクビダートルたちの運動に合流していきました。リクビダートルや市民たちのグループは、代表を議会に送り、また議員にも働きかけました。90年には法制化に向けた運動となり、91年の法律制定にこぎ着けました。
ただ、最初は、理念や方向性を記した法律だったようです。92年には、細部も書き込まれた、現在の法律の土台となる法律が完成しました。
2.「安全な環境に生活する権利」~「年1ミリシーベルト」基準が勝ち取られるまで
チェルノブイリ法は、事故による被害への社会的補償を定めた画期的な法律でした。
事故や放射能汚染による現在の生活や健康への被害のみならず、将来へのリスクに関しても、国の責任として補償していくという理念です。
これをもとに、「年1ミリシーベルト」以上の追加的被ばくを強いられる地域が「避難の権利ゾーン(=避難権付居住地域)」として規定されることになりました。
この基準を設定するに際して、ロシアの憲法24条の「安全な環境に生活する権利」の侵害に当たるとして、議論と運動が行われました。この過程で、国の諮問委員会において、「生涯(70年)350ミリシーベルトまで安全」とする学者もおり、年5ミリシーベルトが基準とされそうになったことがありました。これに住民が怒り、つめよる場面もあったそうです。
ヴェリキンさんたちは「土壌汚染」ではなく「実際の被ばく線量」を、「生涯(70年)350ミリシーベルト」(年5ミリシーベルト)ではなく、事故前からソ連にあった基準、また国際的にも用いられている基準である「年1mSv」を求め、「法律として勝ち取りました。これをもとに、「避難の権利ゾーン」が設定されたのです。
3.チェルノブイリ法の内容
チェルノブイリ法では、土壌汚染のレベル及び住民が受ける平均追加的被ばく量(自然バックグラウンドに追加で生じる被ばく量)に応じて、下記のように区分けされています。
1.疎外ゾーン:チェルノブイリ事故直後、住民の避難が実施された。 |
これらの区域の中で、特に「避難の権利ゾーン」に関して、見てみましょう。この区域に居住する住民には、居住期間に応じた補償金が支払われます。また、下記を受ける権利を有します。
1)国家の負担による追加医療保証: |
この区域に関しては、自らの健康を害する可能性があるものの、補償を得ながら汚染地域で生活する、あるいは、他の地域へ移住することに関して、住民自身が決定することとされています。
避難を選択した場合、国家は、住民が失った財産(家屋、郊外の家屋、ガレージ、生活用建造物)に対し、現物で(同様の家屋あるいは建造物の提供)、あるいは金銭による補償がおこなわれます。
なお、ヴェリキンさんによれば、これらが、金銭ではなく、物やサービスの形で供与されたことが重要であったとのことです。金銭支援では、例えばウォッカ好きの人は、ウォッカの購入に充ててしまうなど、実質的に法律が目指しているような生活や健康の維持とならないため、とのこと。
4.チェルノブイリ法の改悪~補償を受ける権利から「社会支援」へ
その後、チェルノブイリ法は何度か改訂されました。2004年には、プーチン政権のもとの改訂が行われましたが、下記の2点において、改悪となりました。
1)物・サービスの支援から、金銭支援へ
いままで、保養、食べ物、医療、薬など、汚染のないところと同じ生活をするために提供されていた物やサービスが、金銭支援に切り替わりました。このため、住民は以前と同等の保養・食べ物・医療などを受けることができなくなりました。
2)公的補償から、「社会支援」へ
また、考え方そのものも、住民やリクビダートルたちが受ける権利がある公的な補償から、恵まれない社会的弱者に対する「社会支援」に変えられてしまいました。これは、行政が施し的に行うようなものであり、当然の権利を保証するものとして、行政が義務的に行うものではありません。そのような中、ヴェリキンさんたちは以前と同等の権利の回復を求めて、粘り強い運動を続けられています。
5.終わりに
2012年3月、与党から「原発事故被災者の生活支援等に関する施策の推進法案」、野党から「東京電力原子力事故による被害からの子どもの保護の推進に関する法律案」が提出されました。現在、一本化の作業がほぼ終了した状況です。
一本化された与野党案は、事実上、私たちが主張してきた「選択的避難区域」またはチェルノブイリ法の「避難の権利ゾーン」に該当する「支援対象地域」が設定され、移動の支援、住宅の確保、就業支援などが盛り込まれており、また、医療の確保や医療費の減免、食の安全・安心の確保なども含まれています。もしこれが成立すれば、政府指示の避難区域外においても、原発事故の被災者の方々、避難または居住している方々への公的な支援の必要性が法律に明記されることとなり、大きな一歩となります。
政府指示の避難区域に限定せず、避難者、在留者を問わず、原発事故により被害を受けた人々の権利が幅広く認められ、生活再建、健康保障などに国が責任を持つことが必要です。そのために、これらの権利が法制化され、実効性ある施策が実施されるように、ロシアでヴェリキンさんたちがチェルノブイリ法をたたかいとったのと同様、私たち市民が権利をかちとっていくことが必要です。
現在、私たちは、「原発事故被害者のいのちと暮らしを守るための立法と国の施策の実現を求める署名」
(https://inokurashomei.org/)を呼びかけています。ぜひご協力ください。
文責:満田夏花/FoE Japan
以下、懇談会に参加したフクロウの会メンバーからの報告です(フクロウの会ブログより)。
懇親会でも熱い議論は継続されました。継続する運動への思い、人間を守るための運動への情熱、そして特に今回の来日に際して秘めてきた考えにはハッとさせられるものがありました。ヴェリキンさん曰く、チェルノブイリ事故のおりには、諸外国・日本からも多くの援助・支援を受けた。その援助や支援に深く感謝している。今回の来日を機会にロシアにおける経験に基づいて支援を受けた日本の方々へ少しでも貢献できることを願っている。かの事故に遭遇し、その後も困難な運動を乗り越え、また継続しているヴェリキンさんの熱い気持ちに接し、私たちもこれからの運動への決意を新たにしました。 |