ドイツ連邦環境大臣レムケ氏のインタビュー(2023年4月、G7札幌気候・エネルギー・環境大臣会合を前に)
岩波書店「世界」8月号(2023年7月8日発売)に、ドイツ連邦環境大臣シュテフィ・レムケ氏のインタビュー記事が掲載されました。
2023年4月に札幌で開かれたG7気候・エネルギー・環境大臣会合。
その前に福島を訪問して、福島第一原発の構内や伝承館を訪問、また市民団体の代表者との会合も持っていました。
福島を訪問した理由についてレムケ氏は、
「自分自身の目で状況を見て、また当事者の方からお話をお聞きすることは、私にとって重要なことでした」と語ります。
また、市民との懇談について、
「あらゆる環境問題について、これまで市民社会が課題を前に勧める原動力となってきました。ですから、私が環境大臣として、市民社会の代表の方と会うことは非常に重要なことです。」
と語っています。
札幌の会合や記者会見でも、処理汚染水の海洋放出について「歓迎することはできない」と明言したレムケ氏。
8月24日、海洋放出が開始された日には、ドイツ連邦環境省のウェブサイトにコメントを掲載しています。
「環境大臣として、私は放射性物質の海へのいかなる追加放出にも批判的です。海洋放出は、ほかの手段がまったくない場合の最後の手段です。どうしても避けられない場合には、科学的知見に基づいて行われなければなりません。そのようにしてのみ、人や環境への被ばく影響をできる限り小さくすることができます。何よりプロセスが透明であるべきです。福島の方々が、十分に情報を得て意思決定に参加する必要があります。これらのことを、私はすでに4月のG7札幌環境大臣会合で、日本政府に対して求めたのです。」
https://www.bmuv.de/ministerium/online-tagebuch/#3894
岩波書店の企画でアポイントを取ることができ、4月13日に宿泊先のJヴィレッジを訪問、FoE Japanの吉田がインタビューしました。以下「世界」8月号掲載記事を許可を得て転載します。
ドイツ環境大臣 独占インタビュー
原発廃止は、将来を見据えた正しい決定でした
シュテフィ・レムケ Steffi Lemke
1968年、旧東ドイツ・デッサウ生まれ。ドイツ統一後の1994年、緑の党より連保議会議員に。現在、ショルツ政権で、ドイツ連邦環境・自然保護・原子力安全・消費者保護大臣をつとめる。
聞き手……吉田明子(国際環境NGO FoE Japan)
《取材のまえに》
岸田政権は、原子力を脱炭素電源として位置づけ推進する「GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法」という束ね法案を今年5月31日、通常国会で成立させた。原発の60年を超える運転を容認し、原子力の運転期間に関する定めも原子炉等規制法から削除されることになる。国内のみならず、全世界に放射性物質を拡散させ、いまも廃炉作業や汚染水問題、避難住民の存在があるにもかかわらず、事故を起こした国の原発回帰である。
エネルギー対策としても気候変動対策としても、脱原発・脱炭素を進める国との差が明確に表れたのは、4月15~16日に札幌で行なわれたG7の気候・エネルギー・環境大臣会合においてであった。ドイツはちょうど4月15日に、すべての原発の廃止を実現した。まさに福島原発事故を教訓とした結果である。
そのドイツの環境大臣、シュテフィ・レムケ氏が、原発廃止当日は来日しており、しかも福島を訪れる予定であることを、私はドイツ在住のジャーナリスト・梶村太一郎さんから聞いていた(本誌6月号に梶村さんの報告がある)。原発廃止をどのように達成したのか、なぜあえて福島を訪れるのか、しかも福島で活動する市民と対話の機会ももつという。その思いを聞きたく取材を申し込んだ。以下は、4月13日、福島県楢葉町のJヴィレッジで行なったインタビューに、メールでのやりとりでアップデートを加えたものである。
●福島訪問の意図
―G7環境大臣会合前に、福島を訪問したのはなぜですか。
レムケ(以下略) 地震、津波、そして原発事故という三重の災害に見舞われた福島について、私自身、2011年当時大きな関心を持ち、心を動かされました。それは、ドイツの政治にも大きな影響を与え、当時のメルケル政権を脱原発に舵を切らせることとなりました。つまり、メルケル氏自身が2010年に決めた原発の稼働期間の延長を撤回し、2022年を脱原発の年限として決めたのです。環境・自然保護・放射線防護の担当大臣としてG7の機会に日本を訪れるとなれば、福島への訪問は、私には必然でした。自分自身の目で状況を見て、また当事者の方からお話をお聞きすることは、私にとって重要なことでした。
―日本に到着してすぐ福島入りし、今日(4月13日)は朝から福島第一原発や東日本大震災・原子力災害伝承館を訪問されています。何を感じましたか。
伝承館では二人の当事者の方からお話を伺い、胸に迫るものを感じました。ドイツで報道を通じて知っていたはずのものとは比べ物にならないほどの、圧倒的な大きさの被害でした。膨大な量の汚染土壌や汚染水など、その大きすぎる課題に圧倒されました。その責任は、政治や原子力企業、そして日本社会全体が負わなければなりません。その負担に、日本全体、とりわけ福島が、何十年にもわたって向き合い続けなければならないのだということを実感しました。
一方で、いくらか救われる思いがしたのは、福島県の内堀雅雄知事とお話しして、福島県が再生可能エネルギー100%を目指し、今後原子力は一切使用しないと言われたことでした。これは、この地域にとって非常に重要なことだと思います。
―福島では市民団体の方々4人と懇談の機会をもたれたと聞きました。なぜ市民の話を聞こうと考えられたのですか。
自然保護や大気汚染、原子力利用の是非まで、あらゆる環境問題において、これまで市民社会が課題を前に進める原動力となってきました。ですから、私が環境大臣として、市民社会の代表の方と会うことは非常に重要なことです。
市民の方たちとの会合では、彼らのふるさとの地で起きている課題についての懸念や取り組みをお聞きすることができました。
●政治家としての歩みと原発問題
―レムケさんは1968年、旧東ドイツ・デッサウに生まれ、1989年に緑の党設立にもかかわっています。チェルノブイリ原発事故はどのような影響を与えたのでしょうか。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故は、統一前の東ドイツでも環境運動を前進させる力となりました。しかしだからこそ、国からは原子力の危険性についてほとんど語られることはありませんでした。私自身は当時、大気汚染、そして私の出身地域での褐炭採掘問題やそこからの排水問題などに関わっていました。特に、市民が自由に意見をのべ自由に旅行できるという民主主義を求める運動に深く関わっていました。それらが、私を政治の世界へと導くことになりました。
―西ドイツでは、子どもは外遊びをするな、牛乳は飲むな、などと大きく報道されたと聞きましたが、東ドイツでは違ったのですね。
はい、まったく違いました。事故自体についても、東ドイツでの報道は数日遅れで、内容もごく限られたものでした。外遊びや牛乳を飲むことへの注意などはありませんでした。
東ドイツでは、環境問題に関する客観的データは、公開が禁じられていました。市民たちは情報の透明性や公開を要求していましたが、そのような運動をすれば国家保安省(秘密警察)に監視され、処罰されることとなっていました。
―原子力政策に関心を持ったきっかけは何ですか。
東ドイツの原発は北部にあり、私の出身地域からは遠かったため、すぐ近くで起きていた他の環境問題に比べれば、原発問題にはそれほど強く関わっていたわけではありませんでした。例えば当時、モルスレーベン(旧東ドイツ領内、現在のザクセン・アンハルト州)の放射性廃棄物処分場の問題もありましたが、知識が足りずあまり関心を持っていませんでした。しかし、ドイツ統一後、1994年に緑の党の連邦議会議員として選出されて以降は、脱原発運動に積極的に関わるようになりました。
その当時、放射性廃棄物のゴアレーベン(旧西ドイツ領内で東ドイツ国境まで約2キロ、現在のニーダーザクセン州)への搬入に対して大規模な反対運動が起きていました。1970年代に、市民参加も科学的調査もなしに政治的議論のみで最終処分場建設が決められていたのです。地域には多くの農業者がおり、反原発運動は彼らと連携し、ついにゴアレーベンの最終処分場計画を阻止したのです。また、当時はモルスレーベンの処分場が物理的に崩壊や浸水の危機に瀕しているとされ、非常に激しい議論が交わされていました。そのつけは、税金として市民に重くのしかかるのです。
また、チェルノブイリ原発事故によるベラルーシの汚染地域を訪問したことがあり、避難区域にそのまま取り残された家々やそこに住み続けている人たち、子どもの甲状腺がんなどの状況を目の当たりにしました。これらの経験も、私にとって大きなものでした。
―2011年の福島第一原発事故の時は何をされていて、どう思われましたか。
報道で地震、津波、そして原発事故が起こったことを知り、すぐにその深刻さを理解しました。そしてその後の経過をずっと追って見ていました。多数の原子力発電が短期間で停止されたことは、日本にどれほど大きな影響を与えたでしょう。電力供給や産業にも影響したでしょう。
ドイツでは、福島第一原発事故の直後に古い原発が停止されました。メルケル政権はそれまで原子力に賛成する立場をとっていましたが、福島第一原発事故が、脱原発に転換するきっかけとなったのです。世界中どこの国でも、原発事故が絶対に起こらないとは言えない、そのことが明確に示されたのです。津波の危険はドイツではほとんどありませんが、別の形での災害や人為的ミスが大事故につながる可能性はあります。
●エネルギー政策をめぐる議論
―ドイツは国内のすべての原発を4月15日に廃止しました。福島第一原発事故以降のドイツの気候変動・エネルギー政策の歩みをどう捉えますか。
ドイツが脱原発を実現したことはとてもうれしく、安心しています。正しく、将来を見据えた決定だったと思います。メルケル首相による前政権は、石炭火力からの脱却もすでに決めました。これもまた正しい決定です。しかしエネルギーシフトを実現するために必要な、蓄電技術や風力、太陽光など代替手段を進めるという点では遅すぎました。
今、自動車産業や化学産業など、エネルギー多消費型の産業を基盤とするドイツは、再生可能エネルギーへの転換を急がなければならないという課題に直面しています。そのため私たち連邦政府は、再生可能エネルギーの拡大に加えてグリーン水素、蓄電技術、エネルギー効率化、省エネルギーなどに大規模な投資を行なっています。
―ロシアのウクライナ侵攻の影響はどうでしょう。
ドイツは、もともとガス火力発電を、脱原発と脱石炭を達成するための橋渡しのエネルギーとして考えており、ロシアからの輸入に大きく頼っていました。そのため、ロシアのウクライナ侵攻により数カ月のうちに代替の輸入先を見つけ一時的に石炭とLNGに逆戻りしなければならなくなりました。しかしこれは臨時の措置にとどまるでしょう。同時に、先ほど述べたように再生可能エネルギーなどを大きく推進しています。
―しかし昨年、持続可能な経済活動のための基準「EUタクソノミー」に、ガスと原子力が含められました。どう評価していますか。
ドイツ政府は、原子力をEUタクソノミーに含めるという欧州委員会の提案には反対していました。この決定は非常に大きな問題だと考えています。私が福島で見たような原発事故の被害を考えると、原子力を持続可能だと呼ぶことは馬鹿げています。これによってEUタクソノミーの意義自体が大きく損なわれようとしていると思います。今、欧州裁判所でこの決定について検証されようとしているのはよいことだと思います。(注:4月18日、グリーンピースがEUタクソノミーにガスと原子力を含めた決定を無効とすることを求め、欧州司法裁判所に提訴した)
●原発停止後の課題
―原発停止後の課題は何ですか。
私たちが直面する大きな課題は、放射性廃棄物の最終処分場探しです。世界中どこにも、稼働を開始している最終処分場はありません。他の国と同様、われわれもまだ決められていません。ドイツでは、透明なプロセスと市民参加を前提に決定をしようとしています。過去、まったく市民の合意なしにゴアレーベンに決めてしまったことは失敗であったと学んでいます。そのためには時間も手間もかかります。安全な最終処分場を見つける課題、そしてそれにいくらかかるのか。実務的な手続きも膨大です。二つ目の課題は、最終処分に至るまでの高レベル放射性廃棄物の中間貯蔵をいかに安全に行なうか。そして三つ目は、繰り返しになりますが再生可能エネルギーへのシフトです。
―ドイツは2030年までに再生可能エネルギーを全電源の80%とする目標を掲げていますが、日本は2030年までに36~38%とするにとどまっています。
数値目標の議論はもちろん重要ですが、それ以上に重要なのは、実際に実行することです。福島県が再生可能エネルギーの拡大に積極的であることは素晴らしいと思います。この分野でも日独の連携が予定されています。
―日本は、原発事故を起こしていながら、原子力をさらに推進、例えば原発の60年を超える運転を認めようとしています。これについてどのようにお考えですか。
もちろんエネルギー政策やエネルギーミックスは各国それぞれで決めるべきです。申し上げたように、私はドイツが脱原発を達成し再生可能エネルギーへと方向転換していることに大変安心し、うれしく思っています。もちろん、工業国として他の国の手本のようになれるのであれば幸いです。
―本日はお忙しいなか、ありがとうございました。
《取材のあとに》
インタビューの翌朝、レムケ大臣はホテルを出発、やはり津波で大きな被害を受けた宮城県名取市閖上地区を訪れ献花ののち、仙台空港から札幌入りをした。
G7気候・エネルギー・環境大臣会合の共同議長は、西村康稔経済産業大臣と、西村明宏環境大臣。最終日の4月16日、共同声明が発表された。日本政府は、原発の重要性を盛り込みたい意向だったと報道されていたが、結局、「我々は」という言葉ではなく「原子力を活用していく国々は」という表現がとられた。また福島第一原発事故に由来するALPS処理汚染水の海洋放出や、除染で生じた汚染土の再利用に関しては、G7として「歓迎する」という表現が提案されていたが、これについても「廃炉作業の着実な進展と科学的根拠に基づく日本と国際原子力機関(IAEA)との透明性ある取り組みを歓迎し、処理水の海洋放出についてIAEAの安全性の検証を支持する」という表現となった。
インタビューでも語られたように、自身の目と耳で原発事故の現実に触れたレムケ氏が、会合においても確固たる信念をもって発言したであろうことが想像できる。
会合後、今回の議長国日本、前回のドイツ、次回のイタリアの大臣が共同記者会見にのぞんだが、西村康稔経産大臣が、「処理水の海洋放出を含む廃炉の着実な進展、そして、科学的根拠に基づく我が国の透明性のある取り組みが歓迎される」と説明した際に、レムケ氏が「処理水の放出を歓迎するということはできない」と反論したことも報道され、話題になった。議長でありながら、取りまとめた声明とは異なる発言をした西村経産大臣は、「私の言い間違い」と釈明したというが、もともとの本音が出たというべきだろう。
レムケ氏との夕食会合に出席した4人の市民とは、いわき市議会議員の佐藤和良さん、福島原発告訴団の武藤類子さん、「いわき放射能市民測定室たらちね」の木村亜衣さん、そして浪江町から兵庫県に避難している菅野みずえさんである。会合直後にお話を伺ったところ、レムケ氏の真摯な姿勢を感じたという。
実はこの日は、菅義偉政権が「汚染水」の海洋放出を決めてからちょうど二年目にあたり、「これ以上海を汚すな!市民会議」が海洋放出反対のグローバルアクションを呼びかけていた。4人もいわき市小名浜でアクションを実施してから、Jヴィレッジに来ていた。汚染水海洋放出に対する当事者としての思いもレムケ氏に受け止められたようだ。何より、市民団体・環境団体を、環境・エネルギー政策に関する重要なステークホルダーであると認識し、自ら話を聞こうとする姿勢は、残念ながら日本の閣僚では考えにくい。レムケ氏のような姿勢やバックグラウンドをもつ人が環境大臣という要職にあるドイツ。日本の状況との圧倒的な違いに、4人からもため息が漏れた。
4月15日、ドイツでは残る3基の原子炉がすべて停止され、工業大国の「脱原発」が達成された。ミュンヘン、ネッカーヴェストハイム(原発立地)、リンゲン(燃料棒製造工場のある町)などで大きなデモンストレーションが行なわれ、人々は五十余年にわたる原子力発電との闘いへの勝利をたたえ、喜び合った。
ただし、燃料棒製造や隣国の原子力発電、そして放射性廃棄物の最終処分場選定など、原子力との対峙は今後も続く。また、原子力を使い続けるべきだという声はドイツ国内でも強い。バイエルン州首相のマルクス・ゼーダー氏(キリスト教社会同盟)は、原子力の運転を国から州の管轄に移し、再稼働をするべきだと強く主張した。これに対しレムケ氏は、放射線防護や安全の観点からも無責任であると批判している(4月17日付、南ドイツ新聞)。
日本政府は原発に回帰し、加えて火力発電についてもさまざまな新技術と支援政策により維持・延命する方向である。今の日本の気候・エネルギー政策は、明らかに世界に逆行している。これは国家の枠を超え、市民社会が取り組む課題でもある。私たちは改めて向かうべき方向を見据えなければならない。
(転載ここまで)
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<参考>
・ドイツ連邦環境省:レムケ氏の福島訪問時の写真
BMUV: Steffi Lemke besucht in Japan Gedenkorte und das AKW Fukushima | Bildergalerie