原発事故から13年の福島を訪問して(2024年3月10~12日)
2024年3月10日から12日まで、FoE Japanは、浪江町の今野寿美雄さんのご案内で、FoEドイツのメンバーとともに福島県を訪問しました。「3.11から13年」の11日、14:46には双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館の屋上で、海に向き合って黙祷しました。
原発事故から13年の各地の様子を、写真とともに紹介します。
3月10日 福島市にて交流会
10日(日)の午後に福島市に到着し、まずは福島テルサで交流会を開催しました。
ぽかぽかプロジェクトに参加する親子など、オンライン含め約30名が参加。ドイツに行ったことがある高校生なども、関心を持って来てくれました。
また参加者の方から、大河原さきさんのお話で、今の福島の状況を考えさせられたという感想もいただきました。
(FoEドイツの方のお話しについては、以下のトークでも報告します)
連続オンライントーク第2回「ドイツの脱原発とエネルギーシフトの現在地」2024年4月5日
https://foejapan.org/issue/20240326/16691/
福島市の方たち同士でも「久しぶり」「初めまして」などと会話があり、私たちも含め、今後に向けた新たなつながりもできました。
3月11日(月)
浪江町民で福島市飯坂温泉で避難生活を送る今野寿美雄さんと合流し、2日間案内していただきました。今野さんが暮らす復興住宅には、浪江町から移り住んだ約50世帯が暮らしています。
飯舘村
前田地区の長谷川健一さん・花子さんのご自宅に立ち寄りました。
2021年10月に、甲状腺がんでなくなった長谷川健一さん。2012年にドイツにも訪問していました。仏壇にお参りし、花子さんと少しお話しすることができました。
東日本大震災・原子力災害伝承館
お昼頃に到着し、隣の産業交流センターで名物の浪江焼きそばをいただきました。
その後13時半すぎに伝承館へ。
14:46の黙祷は、伝承館の屋上で多くの方とともに行いました。
この日、伝承館でも夕方にはキャンドルナイトが予定されていました。
イノベーションコースト
浜通り地域等の新たな産業基盤の構築を目指した国家プロジェクトという福島イノベーション・コースト構想では水素やロボットなどの研究開発拠点や農場など様々なプロジェクトがあり、多額の税金が投じられています。
エリアの中心部を一望できる高台にて今野さんが強調したのは意外にも太陽光パネルが並ぶ中にある空き地でした。この場所は以前、浪江・小高原子力発電所の立地計画があり、その計画に反対した住民が電力会社に土地を売らず、そのまま残っているというのです。
俺たちの伝承館
夕方、今野さんイチオシの『おれたちの伝承館』に移動。 福島県南相馬市小高にあるこの伝承館には実物やアートが中心に展示され、言葉だけでは表現できない原発事故のことが展示されているのが印象的です。
おれたちの伝承館ウェブサイト
https://suzyj1966.wixsite.com/moyai
キャンドルナイト
双葉屋旅館の前で、小高の住民の方たちが中心になってつくったキャンドルナイトに参加した後、おれたちの伝承館で行われたキャンドルナイトに参加しました。
竹や単管パイプで、写真家で館長の中筋純さんなどが手作りされたとのこと。
福島第一原発の方向を指す矢印が、キャンドルで照らされました。
ドイツからのメンバーからの挨拶もありました。インスタグラムでもその様子を配信しました。
双葉屋旅館
11日の夜は、小高駅・俺たちの伝承館からもすぐの、双葉屋旅館に宿泊しました。
女将の小林友子さんご夫妻は、原発事故後に避難生活をへて戻られ、2016年の常磐線開通に合わせ、旅館を再開しました。
その際に、仲間とともに綿密な放射能測定もされています。そういった活動をもとにウクライナへも訪問し、現在も交流を続けられています。
3月11日の当日に私たちが訪問したことに対し、小林さんは言ってくださいました。
「13年経ってようやく、前を向けるようになった。
これからも、原発事故のことを伝え続けなければならない。
海外からも東京からも、同じ思いを持つ人に来てもらい、一緒に過ごすことができるのはありがたい。」
3月12日(火)
富岡町在住の西島香織さん・鈴木亮さん
浜通りを中心に活動をされている西島香織さん、鈴木亮さんにお話を伺いました。国際青年環境NGO A SEED JAPANでの活動などを経て、数年前に富岡町に移住し、原子力災害考証館furusatoの企画や運営、ふたば地域サポートセンター、有機農業という3つの柱を中心に活動されています。
お二人の子どもの健康についてFoEドイツのメンバーからは心配の声が上がりました。それに対して、鈴木さんは「かなり心配している。だが東京ではイメージで心配、ここ(富岡)では測定などをして具体的に心配。それ以上の心配はしたくない。これは難しいところ」と話しました。ただ、周りには「気にせず住んでいる人はいる。」とのことです。
西島さんは学生の頃、社会学の視点でどうして原発を受け入れたのかという研究をしていたといいます。考証館のコンテンツを考えたり、原子力市民委員会に所属し、FoE Japanの理事など、原子力災害に関する活動を続けています。
ふくいち周辺の風景
当時のまま残された建物が散見できる国道六号線。多くの建物は解体され、空き地になっている様子がわかります。六号線からは以前は福島第一原発が見えたといいますが、今は見えることはなく、都心へ電力を運んできた送電線が伸びている様子が伺えます。
武藤類子さん
中通りに位置する三春町に移動し、武藤類子さんと会いました。三春名物という三春そうめんを食べながら武藤さんのお話を伺いました。
コミュタン
その後、福島県環境創造センター交流棟(コミュタン福島)に移動し、今野さんや武藤さんに案内していただきました。
施設を見た後、武藤さんから政府・東電からのプロパガンダの話や、武藤さんが関わっている様々な裁判の話がありました。「さまざまな省庁、農林水産省、経産省、環境省、復興庁が事故後大々的に広告を出した。賠償を羨むようなプロパガンダをプロの広告代理店が行って、分断を生んでしまった」と、まさに放射能の安全神話を作り出している施設内で武藤さんは話します。
FoEドイツのメンバーからの武藤さんの活動に対する嫌がらせはないかという質問に対し、「SNSで攻撃があるかもしれないが、見ていないのでわからない。私自身に直接ではないが、例えばこの町で汚染水をどうして流してはいけないのかという講演会を開催した時、東京から来た人が『この趣旨の講演会に町が後援していいのか』というの苦情が町に入った。」と話しました。
裁判については、「関心がなくなり段々人数が減っている。福島原発告訴団の原告の数が14000人が4000人になった。裁判の原告団は会費で運営している任意団体」という。これに対し、来日したドイツのメンバーからは驚きの声が聞かれました。ドイツでは法人格を取るのが非常に簡単だというのです。汚染水の海洋放出について漁業者と市民が東電と国相手に裁判をしはじめたことについての共有もありました。
●感想
3月11日に福島の被災地へ。13年経って・・以前あらゆる空き地に置かれていたフレコンバックの山は中間貯蔵施設に運ばれ、帰還困難区域だったところも大きく様相が変わっています。家が解体された更地と新しく建てられた集合住宅、一見そのままであるように見えて、もう誰も住むことはなくなった家・・。それらの風景の背景にある、無数の悲痛な物語に思いをはせる2日間でした。(吉田明子)
3月11日当日を福島で迎えるのは今回が二度目でした。黙祷が捧げられた14:46、伝承館の屋上には行政の人や報道陣もおり、そこにしかない空気感がありました。13年経ってなお、事故の傷跡は消えることなく、当時のまま残された家屋がある一方で多くは壊され、荒れた大地にポツポツとある真新しい巨大施設が虚しくそびえているように思いました。日本の地方と国の問題が凝縮されたようなこの地域で、改めてこの国はどこへ向かっているのだろうか、そう感じました。(松本光)
3月11日が近づくと、福島に暮らす人たちはざわざわすると。特別なその日に、私たちがお邪魔してもよいのだろうかと、思いながらの3日間でした。浜通りはフレコンバックも見当たらなくなり、空き地には新しい無機質な建物が並びます。人の温かみが感じられないその街で、暮らしている人たちに思いをはせました。13年は長くもあり、あっという間でもあり、昨日の事の様に考えている人たちもいます。これから長く続く廃炉作業や街づくりに、私たちにできることは何だろうと考えさせられました。(矢野恵理子)
脱原発の活動は、これまで皆さまのご寄付によって続けてきましたが、事故から月日が流れて関心が薄れる中、活動継続のための運営費用や、新たな映像や資料の制作、広報費用などの資金が不足しているため、クラウドファンディングに挑戦することにしました。
原発のない安全で公正な未来に向けて、一人でも多くの方に仲間に加わっていただくことが、私たちにとって大きな力になります。どうかよろしくお願いいたします。
▼クラファンはこちらから
https://camp-fire.jp/projects/view/740978
【概要】
タイトル:原発ゼロへ!持続可能なエネルギー社会を目指す活動へのご支援をお願いします
期 間:2024年3月1日(火) ~ 4月26日(火)
目標金額:500万円
U R L:https://camp-fire.jp/projects/view/740978