インドネシア:モロワリ・ニッケル鉱山開発・製錬事業とは?
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1. インドネシア:モロワリ・ニッケル鉱山開発・製錬事業(Indonesia Growth Project Morowali)とは?
場所: インドネシア 中スラウェシ州 モロワリ県
<鉱山>バホドピ郡レレ村、ダンパラ村、シウムバトゥ村
東ブンク郡バホモアヒ村、バホモテフェ村、オネプテジャヤ村[1]
<製錬>ブンク・ペシシル郡サンバラギ村(サンバラギ工業団地内)
地図:PTVIによるモロワリ・ニッケル鉱山開発・製錬事業(地図出典:Google Earth)
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目的: フェロニッケルの生産(ステンレス市場向け。商業生産開始2026~2028年見込み[2])
インドネシア国家戦略事業(PSN)に位置づけ(経済調整担当大臣令 2023 年第 8 号)[3]
(建設時の雇用労働者数最大15,000人。稼働時約5,000人[4])
<鉱山>
・特別鉱業事業許可(IUPK)によるニッケル鉱業コンセッション ※1
= 中スラウェシ州バホドピ鉱区22,699ヘクタール(ha)[5]
=うち鉱区2及び鉱区3におけるサプロライト鉱の採掘[6](予定)
(鉱業コンセッション内の約15,500 haは保護林地域[7]) Cf. 東京23区の面積62,753 ha
・採掘設備
・港湾設備(ニッケル鉱石の製錬所への搬出)等
※1)2024年5月13日、PTVIの鉱業事業契約(Contract of Work : CoW)(期間は2025年12月28日まで)からIUPKへの切替更新が完了。IUPKの期間はCoW期間からまず10年間の延長が認められ、2035年12月28日まで。以降も10年間毎の延長可。IUPKに基づき、PTVIは後述の新規製錬施設等の建設を規定期間内に完了させる義務も負う。[8]
<製錬>(サンバラギ工業団地内)
・フェロニッケル 年間生産量73,000トン(ニッケル量)(予定)[9]
・ロータリー キルン電気炉(RKEF)8系列
・自家発電用LNG(液化天然ガス)火力発電所(500メガワット)[10]
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総事業費: 約26億米ドル(採掘及び製錬)[11]
(うち鉱山開発費用は約15%)[12]
事業実施者:
<鉱山>
PTヴァーレ・インドネシア(PTVI。1968年設立)
出資者:・ PTミネラル・インダストリ・インドネシア(MIND ID)(34.00% ※2)
・ヴァーレカナダ(VCL)(33.88%)
・保有率5%未満の一般株主(20.64%)
・住友金属鉱山(SMM)(11.48%)
※2)2024年6月28日のVCL、SMMによるMIND IDへのPTVI株式一部売却等完了後の出資比率
<製錬>(サンバラギ工業団地内 ※3)
PTバホドピ・ニッケル・スメルティング・インドネシア
(PT Bahodopi Nickel Smelting Indonesia: BNSI。2019年設立)
出資者[13]:・PTVI(49%)
・太原鉄鋼集団有限公司(Taiyuan Iron & Steel社:TISCO)(中国)
=鉄鋼世界最大手・中国宝武鋼鉄集団(China Baowu Steel Group)の子会社[14]
・山東鑫海科学技術有限公司(Shandong Xinhai Technology社:Xinhai)(中国)
(中国2社51%=Taixin (Singapore) Pte. Ltd[15])
※3)サンバラギ工業団地(1,275 ha[16])
PTアヌグラ・タンバン・インダストリ(PT Anugrah Tambang Industri: ATI)
=サンバラギ村の土地収用も実施(2020年頃~)
被影響住民:
<鉱山>(事業者の定義による影響を受ける村)[17]
・モロワリ県バホドピ郡3村
・モロワリ県東ブンク郡10村
<製錬>
・モロワリ県ブンク・ペシシル郡サンバラギ村、ウェレエア村
・モロワリ県南ブンク郡ブアジャンカ村等の漁村
2. 日本との関わり
日本企業の関わり:
・住友金属鉱山(SMM)
=PTVIへの出資(11.48%)
・三井物産
=PTVIの親会社Vale(ブラジル)への出資(6.31%)
3. 主な経緯
表:モロワリ・ニッケル鉱山開発・製錬事業に係る主な経緯[18]
1920年代 | スラウェシ島東部での探鉱開始 |
1968年 | PT International Nickel Indonesia(PT INCO:PTインコ)設立。インドネシア政府と鉱業事業契約(CoW)締結(期間:1968年4月1日~1998年3月31日) |
1972年 | 日本企業による権益参入 |
1973年 | PTインコ、南スラウェシ州ソロワコ精錬所建設工事開始 |
1977年 | ソロワコ精錬所、スハルト大統領(当時)出席の下で完工式 |
1978年 | PTインコ、ソロワコでニッケルマット商業生産開始。日本への輸出開始 |
1990年 | PTインコ、初の公開株式20%売出(インドネシア証券取引所上場) |
1996年 | PTインコ、CoW更新(期間:1995年12月29日~2025年12月28日) |
2012年 | PTインコからPTヴァーレ・インドネシア(PTVI)へ社名変更 |
2013年9月13日 | PTVI、環境林業省からバホドピ鉱区における採掘活動、道路建設、ニッケル製錬所建設に関する環境許認可を取得(期間2025年12月28日)[19] |
2014年10月 | PTVI、インドネシア政府と「鉱物及び石炭鉱業に関する法律2009年4号」(新鉱業法)で義務づけられているCoWの改正に合意 |
2019年5月14日 | PTVI、環境林業省からバホドピ鉱区内の2,143 haに対する林地賃貸利用許可(IPPKH)を取得(期間2025年12月28日)[20] |
2019年6月25日 | PTバホドピ・ニッケル・スメルティング・インドネシア(BNSI)設立(当時は鉱区近くで製錬事業を実施予定。2022年頃に同地域における断層/地震リスクも考慮した上で、事業地をサンバラギ村に移転) |
2020年頃 | PTアヌグラ・タンバン・インダストリ(ATI)、サンバラギ村での土地収用手続き開始 |
2020年10月7日 | VCL及びSMMが、PT インドネシアアサハンアルミニウム(イナルム)へのPTVI株式20%売却完了 |
2021年6月 | PTVI、中国2社とバホドピ鉱区におけるフェロニッケル製錬所の共同開発に係る契約締結[21] |
2022年1月6日 | PTVI、環境林業省からバホドピ鉱区内の13,362 haに対するIPPKHを取得(期間2025年12月28日)[22] |
2022年9月6日 | PTVI、中国2社とバホドピ鉱区における製錬開発に係る事業投資契約を締結[23] |
2023年2月10日 | PTVI及びPT BNSI、鉱山及び製錬所の各予定地にてIndonesia Growth Project Morowali着工式 |
2023年8月4日 | バホドピ鉱区におけるPTVIのニッケル鉱石採掘生産活動計画の環境影響評価(EIA)、環境管理計画、環境モニタリング計画に係る委員会の最終公聴会[24](2024年2月までに新しい環境許認可取得[25]) |
2023年11月17日 | VCL及びSMM、ジョコ・ウィドド大統領(当時)出席の下でMIND IDへのPTVI株式約14%の売却契約を締結[26] |
2024年2月26日 | VCL及びSMM、MIND IDとPTVIの株式売買の枠組み契約を締結[27] |
2024年5月13日 | PTVIのCoWから特別鉱業事業許可(IUPK)への切替更新完了。PTVIは新規製錬施設等の建設を規定期間内に完了させる義務。また純利益10%をIUPK利益配分としてインドネシア政府に支払い義務(IUPK保有者の義務)。(期間は2035年12月28日まで。以降も10年間毎の延長可) |
2024年6月28日 | VCL及びSMMが、MIND IDへのPTVI株式の一部売却と新株引受権の譲渡を完了 |
2024年9月時点 | Indonesia Growth Project Morowali全体の進捗率53%[28] |
2026~2028年[29] | Indonesia Growth Project Morowaliの商業運転開始(予定) |
4. 環境・社会・人権に係る主な懸念
(1) 採掘活動の開始と今後の拡大に伴う農家の生計手段への影響―不十分な補償措置かつ不透明な補償プロセス
PTVIのバホドピ鉱区は、1968年に鉱業事業契約(Contract of Work : CoW)によって鉱業コンセッションを付与される以前から村人が居住し、畑地等を切り開き、生活を営んできた場所である。同地域で暮らしてきた住民は、PTVIの鉱業コンセッションについて事前に協議を受けておらず、同意したこともなかった。今日までPTVIの鉱業コンセッションに係る境界も明確に知らされてはおらず、バホドピ鉱区内には居住地域と農地が広がっている。
各農家は1ヘクタール(ha)弱から十数haの畑地にコショウ、クローブ、ナツメグ、カシュー、カカオ、アブラヤシ、ドリアン、ランブータンなど、さまざまな作物や果樹を植えてきた。特に近年、バホモテフェ村、レレ村、ダンパラ村、シウムバトゥ村の農地ではコショウ栽培が農家数百名以上、またそこで働く日雇い農業労働者らの重要な生計手段の一つとなってきた。コショウの販路は国内だけでなく、海外への輸出も行われている。
農家らによれば、コショウ畑は主に通称km3、km7、またそれより高位に位置するkm8からkm16まで広範囲に及んでいるとのことだ(km●●の呼称は木材会社が以前用いていたもので、海域側のkm1から山地側にかけて順に数字が大きくなる)。法制度に基づく土地の区分けは、km7の一部までが他用途地域(APL)、km8より高位の土地は森林地域(HPK:転用可能な生産林)に分類されている。
地図:PTVI港湾設備とバホドピ鉱区内の畑地(地図出典:Google Earth)
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PTVIは2024年初期頃に自ら直接ではなく請負業者を通じて、バホドピ鉱区2及び3のうち、APLに分類されているkm3からkm7に位置する農地の作物に関して補償プロセスを本格化させた。補償交渉は請負業者が各農家との間で直接個別に行い、請負業者が農家の住宅を訪問することもあれば、事業者の事務所で行われることもあった。こうした各農家に個別にアプローチする補償交渉の手法は、農家が団結することを阻止し、補償交渉能力の低下を招いている。実際、個々の農家によって、補償水準が大きく異なっていることが報告されており、農家のPTVIに対する不満及び不信に加え、農家間の不信も増大させる結果となっている。
例えば、PTVIによる作物の補償額は作物の種類、本数、収穫可否等の状況に応じて決められるということであったが、補償水準の一貫性や透明性の欠如は顕著であった。PTVI側が最初に提示する補償額は1ヘクタール当たり約2億ルピア(約200万円)で、補償交渉能力に長けていない農家らは、低価格での補償金に合意したようだ。一方、補償額に幾度も合意せず、粘り強く交渉を続けて、7.5億、9億、あるいは、14億ルピアなど、より高額の補償額を手にした農家や、依然として補償交渉中の農家もいる。そもそも、コショウ農家1ヘクタール当たりの年間収入(グロス)が5億ルピア超に上ること、将来にわたって持続的な収入源となり得ること、また補償金が遅かれ早かれ無くなってしまうことを考慮すれば、PTVIの補償提示額は、PTVIが遵守すると謳っている世界銀行グループ国際金融公社(IFC)のパフォーマンススタンダード等国際水準で規定されている非自発的住民移転時の再取得価格、また移転前の生活水準に比して改善あるいは同等の水準を維持する措置の提供とは程遠いと言える。
またPTVI側は補償交渉時に農家らに対して、雇用機会の他、受領した補償金を用いて、購入した自動車をPTVIの送迎車等として契約したり、労働者の宿泊施設を建設したりなど、その他のビジネス機会で新たな収入源が創出されると話していたということだ。しかし実際には、南スラウェシ州ソロワコ鉱区周辺でPTVIとすでに契約や関係性を有してきた業者等の参入によりバホドピ現地の住民の契約機会が十分に確保されていない状況や、契約内容等が農家に十分な利益をもたらすものとなっていないケース、あるいは、治安等の理由から労働者がバホドピ現地ではなく県都ブンクを宿泊場所として選択している状況などから、少なからぬ農家がPTVIに対する不満を口にしている。
農家らの中にはkm3やkm7における補償受領後も、まだ補償交渉が始まっていないkm8より高位の土地で農業を続けている者が多い。その中には、以前からkm8より高位の土地でコショウ栽培などを行ってきた農家と、以前はkm3やkm7のみで農業を行ってきた農家がいる。どちらにせよ、km3やkm7で失った生計手段を補うため、現在、より多くの農家がkm8より高位の土地を更に、あるいは、新たに切り開いている状況が見られる。しかし、km8より高位の土地も、すでにPTVIの鉱業コンセッション内であることを知らせるPTVIの看板が畑地の中に立てられており、「PTVI所有地。PTVIの許可なく、この場所に立ち入ること、通過すること、及び/あるいは、いかなる活動を行うことも禁止」と通知されていたり、PTVIによる新たな探査作業が行われている状況から、いずれ退去を余儀なくされる可能性、つまり、生計手段を喪失する可能性は高い。
――「コショウの収穫2回分の稼ぎで自分の家を建てられたが、例えば、ニッケル製錬所の労働者で家を建てられた人はまだいないだろう。」
――「ニッケルはいずれ枯渇するが、コショウはずっと栽培し続けることができ、自分たち農家にも地域にも富みをもたらすことができる。」
このように語る農家らにとって、将来的にkm8より高位の土地にもPTVIの採掘活動が拡大することは、自分たちの主要な生計手段の喪失につながる極めて重大なリスクである。上述のようなkm3及びkm7におけるPTVI側の不十分かつ不適切な補償措置の経験もあるため、km8より高位の農地は手放さず、守り抜いて行こうとする農家らと事業者との間でのより激しい紛争が起きることも予想される。PTVIは農家らとの適切な協議を通じて、「自由意思による、事前の、十分な情報に基づく同意(free, prior and informed consent)」(FPIC)を確保できない限り、採掘地域の拡大を進めるべきではない。
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(2) 製錬事業予定地域における土地収用及び生計手段への影響
製錬所及びLNG火力発電所の建設が進められているサンバラギ村は250~300世帯の孤村で、以前の周辺村への交通手段は船(ラフェウ村や県都ブンクなど)が一般的であった。開発事業の進展に伴い、現在は車両移動も増加してきているが、道路は未舗装のため、雨季は四輪駆動車でないと依然として移動が難しい。
サンバラギ村の土地収用や補償プロセスは、サンバラギ工業団地の開発を進めるPTアヌグラ・タンバン・インダストリ(ATI)によって2020年頃から開始された。ちょうど新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の惨禍の最中で、村人にとって生活の厳しい時期でもあったため、不十分かつ不適切な補償措置をそのまま受領した者もいたようだ。ATIからの当初の説明では、PTVIの製錬事業に関する情報は含まれていなかった。活断層がある等の理由から、PTVIがバホドピ鉱区の位置するバホモテフェ村ではなく、50km強離れたサンバラギ村に製錬事業の予定地を移転することを決定した2022年以降、PTVIも関与しての説明会が行われるようになったとのことだ。しかし村人は製錬事業に係る環境影響評価(EIA)等の文書や事業地の地図等も目にしたことはないという。
サンバラギ村の北東側は海に面しており、よい漁場であった一方、住宅の立ち並ぶ沿岸地域から100メートルも行かぬうちに急な傾斜面が聳え立っている。そして、その南西側に広がる畑山ではカシュー、カカオ、クローブ等の作物やマンゴー等の果樹が栽培されていた。沿岸部にはココヤシの樹も多数植えられていた。村人の約7割は漁業を主生計としてきたが、農業も並行して行ってきた村人が多かったという。企業の進出前は野鹿や野豚もいたとのことだ。
――「以前は釣り糸を10~20分ほど垂らせば、Ikan sunuやIkan Kerapu(ハタ科の魚)がすぐに獲れた。」
――「集魚装置を用いた漁の季節には、1日2回漁に出ていた。季節でないときも一日1回漁に出て10kgは獲れていたので、継続して収入があった。遠洋に出る漁とは違い、波の高い季節でも沿岸で集魚装置を用いた漁ができた。」
サンバラギ村でのかつての漁の状況を村人らは口々に語る。村の沿岸では集魚装置を用いた漁業が盛んであったが、2022年頃に集魚装置に対する補償金が支払われて以降は、同村及び隣村ウェレエア村の沿岸域7キロ余りにわたり集魚装置の設置が禁止された。漁師の中にはATIが開催した協議に呼ばれていない者もおり、強制的に補償をされ、禁止されたと感じている者もいる。集魚装置の一つ当たりの元金は大きさによるものの、概ね6,000万ルピア(約60万円)程度であったが、補償金額はその倍程度でしかなかったと不満を漏らす漁師もいる。
サンバラギ村の漁師は遅くとも2018年頃から、同村の北西に位置する他社の鉱山から海域に流れ込んでくる赤茶色の汚泥の堆積による影響を受けてきた。漁をしても汚泥が漁網に絡んでくるなど、近海での漁獲量が減少していたという。また上述の沿岸における集魚装置の設置禁止に加え、後述のATIのCSRの一環による沿岸地域での埋め立て作業も、小漁船と釣り糸・釣り針を用いた小規模漁業を続けてきた漁師に影響を及ぼしており、地域一帯で開発が進むにつれて村の漁師の生活範囲はどんどん狭められてきている。
以前の沿岸や近海での漁は燃料費もかからなかったが、漁師らの中には現在、対岸に並ぶ島々を越えてより遠くまで漁に出ている者もいる。しかし、遠洋に出ても十分な漁獲量を約束されているわけではない中、燃料費も嵩むため、子どもの学費を賄うのが難しくなるなど漁民の生活は厳しくなっているということだ。以前はサンバラギ村のほとんどの世帯が漁船を所持していたというが、現在は30艘程度の漁船しか残っていない。
サンバラギ村には中型漁船も3艘ほどあり、かつては1艘当たり地元の乗組員15名程度を雇用して漁に出ていたが、乗組員が周辺鉱山等で働くようになったため、働き手を確保できなくなっており、外部の人を雇用しない限り、操業の継続が難しくなっている。また漁の餌用の魚を供給してきた対岸の島々の漁師たちも、後段のとおり、漁業への甚大な影響をすでに受けており、餌の入手も困難になっている。
村人が農業を営んできた傾斜面に広がっていた畑地については、以下のとおり、主に3つの分類に基づき補償金の支払いが行われた。
・パケットA:収穫可能な作物のある場合=1ヘクタール当たり2億ルピア(約200万円)
・パケットB:作物はあるものの、まだ収穫不可の場合=同1億8,000万ルピア
・パケットC:作物がまだなく、森林の場合=同1億ルピア
・その他、村に帰属する土地の場合=同5,000万ルピア
しかし補償交渉はもっぱら村長等を通じて行われたため、金額等について村人の適切な交渉・参加機会はなかったという。また村人の中には補償金全額を受領していない、3つの分類の基準が明確でない、受領した補償金額に係る領収証等の証拠書類を所持していないなど、補償プロセスにおけるさまざまな問題が報告されている。また沿岸に広がっていたマングローブ林やココヤシの樹々もすでに伐採され埋め立てられてしまったが、これら沿岸域での伐採作業が政府機関の各許可を得ていなかったことを指摘する声もある。[30]
補償金の受領後、経験したことのない巨額を手にした同村の村人の多くは、それまでサゴヤシだった家の屋根をトタンに変えたり、同村での建設労働者の増加を見込んで宿泊・滞在施設(貸し部屋)を自宅に新たに併設するなど、補償金を住宅のリノベーションに注ぎ込み、使い切ってしまったとのことだ。まだ工事作業の始まっていない畑地へのアクセスは制限はされておらず、残っている作物の収穫は依然として可能ではあるものの、新たな作物の植え付けは禁止されている。
農地補償や居住地補償等が一通り完了して以降も、村人らはサンバラギ村沿岸地域での生活を続けているが、農業による収入も喪失乃至大幅に減少し、漁場のアクセスや漁獲量にも影響が及ぶ中、村人の生活は厳しくなる一方である。最終的には、現在の住宅地域から3~5キロメートル程度離れた村内の山地に整備予定の移転地に移住を余儀なくされると言われているが、特に漁師は山地での将来の生計手段に不安を覚えずにはいられないと胸中を吐露する。2024年11月時点では、移転地の整地作業等は一切始まっていない状況であり、移転の時期も定かでない。
サンバラギ村の住民らによれば、ATIは以下のCSR(企業の社会的責任)プログラムの実施も約束したとのことだ。
①地域診療所
②市場
③ゴミ収集所/箱
④電灯
⑤救急車
⑥清潔な水
⑦道路
しかし、これまで上記④と⑦以外は実現していないとのことだ。市場や地域診療所を創設するとして進められていた沿岸の埋め立て作業は開始されたものの、途中で止まったまま、今日まで(2024年11月時点)放置されている状況である。埋め立て作業の許可が未取得であったためか、予算不足のためか、村人は埋め立て作業の中断の理由を知らされていない。
サンバラギ村での環境・社会・人権影響を引き起こしている主体が例えATIであったとしても、PTVIが同地で製錬事業を行う以上、IFCのパフォーマンススタンダード等国際水準に則った地域住民との協議や移転・補償措置が確保されるべきである。今後、PTVIによる同村での国際水準に則った環境・社会・人権に係る対策の適切な実施の確保が求められる。
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(3) 事業周辺地の漁業活動への影響の拡大
<バホドピ鉱区周辺>
PTVIのバホドピ鉱区周辺ではバホモテフェ村の漁師らが、すでに2015年にモロワリ工業団地(IMIP)が稼働を始めて以降、さまざまな被害を受けてきた。沖合に仕掛けた集魚装置(ルンポン:Rumpon)にIMIP関連のニッケル運搬船がぶつかり壊されてしまう、あるいは、他社の鉱山から赤茶色の汚泥が流出し、洪水時に河川から海域にまで流れてくるため、漁獲量が激減したということだ。また、より遠くまで漁に出るようになったため、燃料費など費用がかさむようにもなっている。
現在バホモテフェ村で進められているPTVIの港湾設備の建設については、集魚装置等が影響を受けていることから、漁師とPTVI間での補償交渉がすでに始まっているとのことだ。今後、PTVIの港湾設備から製錬所へのニッケル鉱の搬出が始まれば、より多くのニッケル運搬船が同海域で往来することになるため、漁師らに更なる影響が及ぶことは否めない。
<製錬事業地周辺>
地図:PTVI製錬所及びLNG火力発電所建設地と周辺の村々(地図出典:Google Earth)
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上段のとおり、すでにサンバラギ村の漁師に周辺鉱山によるさまざまな影響が及んできたことは明らかだが、その対岸に並ぶ島々の漁師らも苦境は同様である。
サンバラギ村から北東方向に漁船で30分弱行ったところに位置する南ブンク郡ブアジャンカ村は、約300世帯超を抱える漁村で、同村長によれば、同村民の90%が漁業を生業としてきた。2010年代後半から周辺地域での他社のニッケル開発事業によって甚大な被害を受けてきたという。まずニッケルや石炭(製錬所の自家発電用)の大型運搬船の航行による被害から始まり、鉱山や製錬所から周辺海域への排水や赤茶色の汚泥の堆積まで、種々の問題を抱えている。
大型運搬船については、漁師がさまざまな集魚装置[31]を用いて沿岸から沖合にかけて漁を行ってきたものの、それらの集魚装置が被害に遭ったり、海上に石炭及び油分が浮いているなど顕著な汚染がみられることもあるという。被害を受けた漁師の中には、例えば、これまで5~6km沖合に仕掛けていた集魚装置を現在は11km沖合に仕掛ける等、コストの増大に悩まされている者も多い。釣り糸・釣り針を用いた漁業を行っていた小規模漁師は、鉱山活動のなかった以前は早朝から正午にかけて近海に漁に出て最大20kg程度とれていたが、現在は早朝から夕方までより長時間、しかも燃料費をかけてより遠くに漁に出かけても最大で3kg、もしくは全く獲れないこともあると嘆く。
ブアジャンカ村はこれらの被害に対し、各企業に補償や対策を求めてきた。しかしCSRや優先雇用も含め、周辺の鉱山・製錬企業とは合意に至っていないことが多く、またさまざまな約束がなされたとしても、同鉱山・製錬事業が立地する地域の住民の待遇とは異なり、同村ではこれまで何ら対策が実行されてこなかったという。
――「家の前で魚を干している風景は今でも見られるものの、以前はもっと多かった。」
――「周辺の鉱山活動で、漁師はもう半分死んだ(Setenga mati)も同然の状態だ。」
同村の漁師はこうした悲痛な声をあげている。これまで海で漁業にだけ従事してきた小規模漁師の中には現在、老若男女問わず、村内にある岩石を砕き、沿岸まで運搬する季節労働に従事せざるを得ない家庭もある。より遠洋に出るため、燃料費等を借金している漁師も、以前は漁後にすぐ返済できていたものが、今ではすぐに返済をできない場合もあり、2回返済できなかった場合には、次回の借金を許されない等、更に苦しい立場に置かれているという。
ブアジャンカ村長によれば、サンバラギ村での製錬事業に関しては、2021年にサンバラギ村でATIが説明会を行った際に招待を受けたものの、会場外で説明を聞くのみであったという。同村の漁師らはPTVIの製錬事業によって、漁師がより深刻な影響を受けることになると懸念している一方、PTVIやATIによる漁業補償やCSRの提供については、非常に懐疑的な見方を示している。
PTVIがバホドピ鉱区での採掘作業を開始し、ニッケル鉱の製錬所への搬出を開始すれば、より多くのニッケル運搬船が周辺海域を航行することは間違いない。またサンバラギ村で自家発電用のLNG火力発電所が稼働すれば、LNG運搬船も周辺海域を航行することとなる。IFCパフォーマンススタンダードの遵守を謡うPTVIは、同地域の漁師がどのような漁法で、どの海域で生業を営んでいるのかしっかりとした調査・評価を行った上で、その生計手段への影響をどうしても回避できない場合には、以前の生活水準に比して改善あるいは同等の水準を維持する措置を提供することが不可欠である。
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(4) 気候危機を悪化させる化石燃料の利用
PTVIは同事業の製錬所に利用される電力が、従来多くの製錬所で自家発電用に利用されてきた石炭ではなく、ガスによるものであることを理由に、Indonesia Growth Project Morowaliを「低炭素」事業だと謳っている。[32] ガス火力によって同事業の稼働時における炭素排出削減に大きく貢献することとなり、2030年までに炭素排出量を最大33%削減、また2050年までに炭素排出ネットゼロを目標に掲げているPTVIのロードマップも達成できるという。
しかし、ガス火力の全ライフサイクルを含めた総排出量を見る必要がある。ガスは掘削後に冷却して輸送のために液化してガスタンカーに積載し、使用前には再びガス化して火力発電所で燃やすまでに、周辺の環境を汚染し、多くのエネルギーを消費し、温室効果ガスや大気汚染物質を排出する。[33] ガスの主成分であるメタンは、ガスのサプライチェーン全体にわたり漏出しており、20年間でCO2の80倍以上の炭素を排出する。したがって、PTVIが「ガス火力」を理由により良い気候変動対策や環境対策を講じていると喧伝することは、「グリーンウォッシュ」以外の何物でもなく、直ちに止めるべきである。
本案件に関する問い合わせ先:
国際環境NGO FoE Japan(担当:開発金融と環境チーム 波多江 秀枝)
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脚注
[1] オネプテジャヤ村は1990年代前半にトランスミグラシ政策の下、バホモテフェ村から分離した村で、ジャワ島、バリ島等から移住した住民が多く、一世帯当たり2ヘクタールの土地も用意され、水田も開拓された。その後、インドネシア政府は同地域が1968年以降すでに鉱業事業契約(CoW)によるニッケル鉱業コンセッションとなっていたことから、1998、99年頃、北モロワリ県に移転地を用意し、住民の再移転を試みた。しかし、すでに農作物や果樹等を植えて生計手段を確立し始めていた住民らは再移転を拒否した。鉱業コンセッション内への移住を進めたインドネシア政府による当初の矛盾した政策が、地域コミュニティと事業者間の紛争の火種の一つとなっている可能性は否めない。
[2] PTVI年次報告書2023 p.13 (https://vale.com/documents/d/guest/pt-vale-laporan-tahunan-2023)
及びPTVI「Rights Issue Prospectus」(2024年6月10日)p.101(https://vale.com/documents/d/guest/20240610_ptvi-rights-issue-prospectus-vf )
[3] 経済調整担当大臣令 2023 年第 8 号(https://peraturan.bpk.go.id/Details/286704/permenko-perekonomian-no-8-tahun-2023 )
[4] PTVIプレスリリース(2023年2月10日)(https://www.vale.com/documents/44618/1438416/2023-2-11+Press+Release+Morowali+Project+Groundbreaking_ENG.pdf/e896662d-f2b7-5cfd-819b-6207230beaad?version=1.1&t=1676294200727&_gl=1*1wd7ahv*_gcl_au*NTU3NTYyNzE1LjE3MzE4NzgzNjg.*_ga*ODE3NTMzNDkxLjE2ODgzNjM5ODU.*_ga_BNK5C1QYMC*MTczNDYwMjgxMS4xMjYuMS4xNzM0NjAyODIyLjQ5LjAuOTYwMzUzOTk0 )
[5] PTVIウェブサイト「About PT Vale」https://vale.com/indonesia/about-pt-vale (参考:同IUPKによるその他のニッケル鉱業コンセッションは、南スラウェシ州70,566 ha、南東スラウェシ州24,752 ha)
[6] PTVI年次報告書2023 p.14 (https://vale.com/documents/d/guest/pt-vale-laporan-tahunan-2023 )
[7] PTVIサステナビリティレポート2023 p.43(https://vale.com/documents/d/guest/pt-vale-laporan-keberlanjutan-2023-eng )
[8] PTVIプレスリリース(2024年5月15日)(https://vale.com/documents/d/guest/2024-5-15-pt-vale-receives-iupk-2024-english )
[9] 脚注6に同じ
[10] PTVIブリーフィングブック2023 p.20(https://vale.com/documents/d/guest/ptvi-briefing-book-eng-_feb-2023 )
[11] 脚注6に同じ
[12] JOGMECニュース・フラッシュ(2021年11月5日)(https://mric.jogmec.go.jp/news_flash/20211105/160016/ )
[13] BNSIの出資比率については、PTVI年次報告書2022 p.41(https://vale.com/documents/d/guest/pt-vale-indonesia-tbk-annual-report-2022-1 ))。Taixinは2023年1月30日設立のシンガポールの私的免除会社(Exempt Private Company Limited by Shares)(https://www.sgpbusiness.com/company/Taixin-Singapore-Pte-Ltd )。
[14] PTVIブリーフィングブック2023 p.19(https://vale.com/documents/d/guest/ptvi-briefing-book-eng-_feb-2023 )
[15] PTVI年次報告書2022 p.41(https://vale.com/documents/d/guest/pt-vale-indonesia-tbk-annual-report-2022-1 )
[16] KOMPAS.com(2023年9月7日)(https://www.kompas.com/properti/read/2023/09/07/153000321/empat-kawasan-diusulkan-jadi-kek-baru-apa-saja )
[17] PTVIサステナビリティレポート2023 p.65(https://vale.com/documents/d/guest/pt-vale-laporan-keberlanjutan-2023-eng )
[18] 参照:PTVIウェブサイト「Our history in Indonesia」https://www.vale.com/en/indonesia/our-history-in-indonesia
[19] PTVI「Rights Issue Prospectus」p. 47(2024年6月10日)https://vale.com/documents/d/guest/20240610_ptvi-rights-issue-prospectus-vf
[20] PTVI「Rights Issue Prospectus」(2024年6月10日)https://vale.com/documents/d/guest/20240610_ptvi-rights-issue-prospectus-vf
[21] 脚注12に同じ
[22] 脚注20に同じ
[23] 脚注15に同じ
[24] PTVIプレスリリース(2023年8月8日)(https://vale.com/w/wabup-morowali-amdal-pt-vale-komprehensif-dan-memperhatikan-seluruh-aspek/-/categories/5 )
[25] PTVIプレスリリース(2024年2月10日)(https://vale.com/documents/d/guest/2024-2-10-pt-vale-indonesia-4q-2023-results-release-english )
[26] PTVIプレスリリース(2023年11月17日)(https://vale.com/documents/d/guest/2023-11-17-press-release-signing-of-divestment-hoa_eng-rev )
[27] PTVIプレスリリース(2024年2月26日) https://vale.com/documents/d/guest/20224-02-26-pt-vale-divestment-spa_eng
[28] Valeニュース(2024年10月2日)(https://vale.com/hu/w/serap-capex-usd174-juta-progres-pembangunan-pt-vale-igp-morowali-signifikan-dukung-pertumbuhan-ekonomi/-/categories )
[29] 脚注2に同じ
[30] Poso News「PT. ATI Diduga Lakukan Pengrusakan Mangrove」(2023年3月13日)(https://posonews.id/2023/03/13/pt-ati-diduga-lakukan-pengrusakan-mangrove/ )、及び、tabloidskandal.com「Mosi Tak Percaya Warga Desa Sambalagi Terhadap PT ATI」(2022年12月3日)(https://www.tabloidskandal.com/gemanusa/mosi-tak-percaya-warga-desa-sambalagi-terhadap-pt-ati.html )
[31] ブアジャンカ村沿岸には、マグロ漁の餌用の稚魚を養成するため、小規模の集魚装置(Karamba)が備えられている。沖合の集魚装置は、ルンポン(Rumpon)と呼ばれるもの。
[32] PTVI年次報告書2023 p.38(https://vale.com/documents/d/guest/pt-vale-laporan-tahunan-2023 )
[33] NRDC「Liquefied Natural Gas 101 What is it? Why is it? And what does it mean for the climate?」(2024年2月9日)(https://www.nrdc.org/stories/liquefied-natural-gas-101#whatis )