フィリピン台風被災地(ボホール州)の農民・漁民への寄付 ご協力への御礼と報告 2(現地訪問の報告)

寄付への御礼と報告1(2022.03.13)

「フィリピン台風被災地(ボホール州)の農民・漁民への寄付」の呼びかけに、皆さまから温かいご支援をいただき、どうもありがとうございました。

前回の報告(3月13日)から日が経ってしまいましたが、5月下旬にボホール州NGOとともにFoE Japanスタッフが寄付先の農民組織を訪問してきました。その際の現場の状況も合わせ、以下のとおり、その後の支援状況について報告いたします。

いただいたご寄付への現地からの御礼の言葉

まず、3月以降、皆さまから更にご寄付いただいた250,000円を2回に分けて5月初めまでにボホール州の現地NGO(Women’s Development Center:WDC)へ送金いたしました。2月初めまでに送金した100,000円と合わせ、寄付は総額350,000円となりました。WDC及び農民組織の皆さんからは、以下のメッセージが寄せられています。

「日本の皆さまから私たちにいただいたすべてのご支援に深く深く感謝いたします。言葉だけでは、この感謝の気持ちは到底言い尽くせません。本当にありがとうございました。皆さまからのご寄付は、これから長く続く復興の道のりの中で、私たち農民に必要となるものに使わせていただきます。」

寄付による支援の内容

支援の内容については、前回、すでに報告したマビニ町サン・ホセ村農民組織(NAMASAJO:ナマサホ)への物資供与(2月下旬に36家族に対して屋根用トタン板等を支給)に続き、今後、以下のとおり、トリニダッド町を拠点とする農民組織への物資供与を予定しているとのことです。

台風Odetteの通過経路とボホール州トリニダッド町、マビニ町の位置関係
(出所:国連人道問題調整事務所(OCHA)「フィリピン:スーパー台風Rai(Odette)状況報告No. 2(2022年1月13日時点)」より地図抜粋(矢印と日本語はFoE Japanが付記))

【支給日】
未定(5月9日のフィリピン全国での総選挙の時期を避けるとともに、支給先の地域における農民の皆さんのコメ収穫期/繁忙期の終了を待って日程を調整中)
【支給先の農民組織】
ボホール州トリニダッド町・タリボン町統合農民組織(TTIFA:ティティファ)
【支給物資の受領家族】
30~40家族
【一家族当たりの支給物資】
屋根用シート(トタン板)5枚と釘一式など

また、3月以降にいただいたご寄付の一部は、再び、マビニ町の農民組織NAMASAJOの皆さんに役立てていただく方向で、現在、WDC及びNAMASAJOで話し合いを進めているところです。これは、5月下旬に現地NGOとFoE Japanスタッフでマビニ町を訪問し、NAMASAJOの皆さんに聞取りを行なう中で、台風被災から5ヶ月以上が経った今も各家族が復興の途上にある実態や、NAMASAJOの皆さんが共用していた農地内の建物が依然として損壊したまま利用できない状況などが明らかになったことを踏まえた判断となっています。

マビニ町サン・ホセ村農民組織(NAMASAJO:ナマサホ)の訪問 ― 台風被災の跡はいまだ色濃く。気候危機の被害者への公的支援は大きく欠如

折れたココヤシや倒れたままのココヤシ(奥)と
自宅の建て直し用の木材(手前)

5月下旬、NAMASAJOの農家の皆さんを訪ね、12月の台風被災時の状況、被害状況、復興状況、被災から5ヶ月経った現状などについて、お話しを伺うことができました。

こうした猛烈な台風の一因となっている気候変動は、これまで温室効果ガスをほとんど排出してこなかったフィリピンなど途上国の貧困層に特に大きな被害を及ぼしていると言われています。今回の台風Odetteでも、農作物の被害で収入を失い、壊れた住居を修復・再建しようにも材料の購入ができないなど、気候危機によって小農民の皆さんが大変困難な状況に追い込まれています。一方、特に公的な支援の手が圧倒的に足りていない現状が見受けられました。

以下、12家族への聞き取りの内容をまとめました。

倒れたままの木々

つづく停電と被害の大きさを物語る風景

村には夜に到着したため、辺り一帯は真っ暗で、すぐに懐中電灯の出番が待っていました。台風被災からすでに5ヶ月が経っていましたが、マビニ町の村では幹線道路沿いでも、依然として各戸への配電が回復していない状況でした。A4の用紙サイズくらいの小型ソーラーパネルを購入し、夜の食卓時などに電球を灯している世帯もあるようでしたが、皆さん、携帯電話などは、優先的に電気が通っているバランガイホール(村庁舎)で一回(一台)10ペソ(約25円)を支払い充電しているとのことでした。

倒れたままの電柱

電気が通っていないため、自宅でテレビを見ることは当然できず、情報源はもっぱらラジオ。また、村の場所によって電波が入ってくる携帯電話を通じて、外部との連絡をとっている状況でした。

翌朝、辺りが明るくなり、宿泊させてもらった家から外に出ると、倒れたままの木々、明らかに葉に元気がなく実のなっていないココヤシの木々、屋根が飛ばされて一時凌ぎのブルーシートなどをかけたままの家畜の飼育小屋など、台風被害の痕跡がすぐさま目に飛び込んできました。

倒れたままのココヤシ(手前)と被害を受けたココヤシの木々(奥)
屋根が飛ばされたブタの飼育小屋

幸いにも、共用井戸や湧水の水源への被害はなく、水は家庭用水、飲料用水ともに確保できている状況でした。

共用井戸

台風直撃時の状況 ― 猛烈な暴風雨と暗闇の中で

台風時に直面した状況について、皆さん、それぞれの経験を語ってくださいました。2021年12月16日の夕方から夜中にかけて、ボホール州の北部を台風が通過し、サン・ホセ村も猛烈な暴風雨に襲われたそうです。暗闇で荒れ狂う風雨の中、必死で子どもを守りながら凌いだ様子が伝わってきました。以下、その一部をご紹介します。

「午後5時位から風雨が強まり、6時から10時までが最強だった。本当はもっと安全な場所に避難したかったが、すでに近くの川を渡れないほどに水位が高くなっていたので、自分の両親や兄弟の家族も含め、大人5人、子ども6人の11人でNAMASAJOの共用施設に留まるしかなかった。施設の一部が倒壊する前に、コンクリート製の堆肥づくりの場所に移ったので助かった。そこも屋根は飛ばされてしまったが、大人が子どもを抱く感じで座り、濡れながら、台風が過ぎていくのをひたすら待った。」

倒壊したNAMASAJOの共用施設
堆肥づくりの場所。11人でここに座り、濡れながら暴風が収まるのを待った

「自分の家の傍にあるココヤシの木が家に倒れてくる恐れがあったので、祖母の家に夫と娘とともに避難していた。しかし、そこの屋根が飛ばされたので、真っ暗かつ暴風雨の中、屋根が飛んできたり、木が倒れてくるのではないかと心配だったが、懐中電灯もつけられないまま、6歳の子どもを抱えて、まるで軍が匍匐(ほふく)前進するような低い姿勢で少しずつ進み、別の親戚の家に避難した。翌朝、自宅に戻ったが、心配していたココヤシの木は屋根を少しかする形で倒れていた。扉はすべて開け放たれた状況で、屋根は飛ばされ、家財道具や衣服も飛ばされていったものがあった。」

「自治体が体育館などの避難場所に住民を連れて行った区域もあったが、自分たちの区域はそうした対応がなされなかった。だから、自分たちの家族も含め、8家族、計20名くらいで、午後1時から近くの小さなチャペルに避難していた。しかし、午後7時頃には屋根が壊れてしまったので、そこから下ったとのころにある親戚の大きな家に避難した。その時、9歳の息子はあまりの風雨の強さに気を失ってしまっていた。翌朝、午前6時に自宅に戻ると全壊だった。テレビ、扇風機など電化製品も壊れ、プラスチック製の収納タンスも飛ばされていた。書類などもすべて濡れてダメになっていた。ひとまず4家族で寝られるよう、倒壊した家の跡から使える資材を集めて、小さな小屋を作った。」

全壊した自宅と壊れたテレビなど。現在(5月時点)は仮住まい用の小屋で暮らしている
半壊の自宅。現在(5月時点)は仮住まい用の小屋で暮らしている
全壊の自宅。現在(5月時点)は仮住まい用の小屋で暮らしている
台風が去った後、10日間くらい4家族で寝泊まりしたという小屋。倒壊した家の跡から使える資材を集めて作った。現在(5月時点)は各家族で仮住まいの小屋を建てて暮らしている

その他、被災した子どもの中には、例えば、曇り空が広がり、天候が悪くなってくると、「また台風?」と不安そうに尋ねてくるなど、トラウマが残っている子どももいるそうで、心理的なケアも必要との声が聞かれました。

4人家族の仮住まい。家の建て直しに時間がかかっている

家屋の修復の状況 ― 限られた支援の中、復興までは長い道のり

各世帯によって状況はまちまちですが、家屋が全壊、もしくは、半壊した世帯の皆さんは、家を建て直そうにも、木材や屋根などの購入資金を工面するのに依然として苦労しているようでした。5ヶ月経った今も仮住まいでの暮らしを続けていらっしゃる世帯が多く見られたのが現状です。

仮住まいでの暮らしが続く。支給されたトタン板を利用

フィリピン政府から補助金を受け取った世帯は非常に限られており、WDCを通じた私たち日本の市民からの支援も含め、民間団体からの補助金や支給も限界があるため、

「ゆっくり、ゆっくり修復していくしかない。」
「5年位かかるかもしれないが、少しずつ貯金をしながら建て直していくしかない。」

――修復までの長い道のりを覚悟している言葉が皆さんから聞かれました。「自宅の建て直しのため、水牛を売ることにした。それでも、まだ足りないが。」と、家畜や資産を売って資金を用立てている家族もいるようでした。

【2月下旬の支給後の様子】
WDCを通じて支給された屋根用シート(トタン板)は、自宅や仮住まいの屋根の一部として利用されていました。仮住まいの世帯は、本格的に自宅を建て直した際に、そちらにトタン板を移せるよう、釘を打たずにトタン板を木で押さえるだけにするなど、工夫をしているようでした。農作業などが忙しく、まだトタン板を屋根に設置できていないという世帯も見られました。

仮住まいにトタン板を利用
仮住まいにトタン板を利用
自宅の一部にトタン板を利用
自宅の一部にトタン板を利用
被害を受けたココヤシの木々

農業の被害状況

サン・ホセ村は、西側に丘陵が広がり、東側は海に面したマングローブ林の広がる農村地域です。水田(灌漑用水の届く地域では年2回の収穫が可能)でのコメづくり、高地や各家の裏庭での野菜づくり、またココヤシやバナナ、その他の果樹などの栽培が盛んに行われている他、海の近くに暮らす世帯の中には、農業の繁忙期以外に漁業を営んでいる皆さんもいます。

今回の台風で、誰の目から見ても大きな被害が出たとわかるのは、上段でも触れたココヤシです。ココヤシは植えてからおおよそ5~10年経った後、年4回収穫できるようになり、コプラ(台風前は18 ペソ/kg)を売って生計の足しにしていた世帯もあります。18本のココヤシを収穫していたという世帯は、一回の収穫で1,300~1,600ペソの純益を得ていたとのことでした。しかし、根こそぎ引き抜かれたような形で倒れたココヤシ、また倒木を免れていても葉や実が被害を受けたものが目立ち、「また実がつき収穫ができるまで、相当な時間がかかりそう。」と、農家の皆さんも溜息混じりで漏らしていました。

回復中のバナナ

バナナは家庭での消費用が多かったようですが、たくさん獲れる家庭では、調理して近所で売り歩くなど、収入の足しにしている世帯もあります。しかし、多くのバナナが幹の途中で折れるなど、壊滅的な被害を受けたそうです。バナナはココヤシよりは回復が早いとのことで、皆さんが台風後に被害を受けた箇所を切り落とした後、すでに新しい芽が出てきていました。ただ、蕾や実がつくまでには、まだ数ヶ月がかかるようでした。

主生計の一つである稲作の被害は、台風被災時期が12月だったということで、2期目の田植えを終えたばかりの農家が多く、まだ背の伸びていない小さい稲が、豪雨のために面積にして4分の1から3分の1程度、押し流されてしまったというケースが多く聞かれ、3月の収穫量がその分減少している状況が見られました。川の傍に位置する水田では、川から溢れ出た水によって、半分近くが押し流されてしまうなど、より大きな被害が出たとのことでした。

野菜への被害も報告されています。「売りに出す予定だったナス、ゴーヤ、トウガラシなどの野菜を収穫しきれなかった。」と、こぼす農家の話も聞かれました。また、政府(農業省)の保険制度に加入しており、被害を受けた野菜については保険が下りるはずなのに、5ヶ月経った今もまだ支払いがないという農家の話もありました。キャッサバやサツマイモ(カモテ)など根菜類も、豪雨の影響で土の中の実が崩れるなど、被害が出たそうです。

サン・ホセ村では、家畜を飼育している農家も多く見られます。水牛、ブタ、牛などへの被害の報告は少なかったものの、ニワトリについては大多数が建物や倒れた木の下敷きになるなど、死んでしまったとのことでした。

【2月下旬の支給後の様子】
WDCを通じて支給されたモンゴ(緑豆)の種については、比較的広い畑で耕作をしている農家の皆さんは、すでに種を植えて、2ヶ月程で収穫も終えている段階でした。これから始まる雨季を待ってから種を植えるという農家の皆さんも多く見られました。

収穫されたモンゴ豆

漁業の被害状況

サン・ホセ村の沖合ではカニ漁が盛んで、農作業の状況を見つつ、悪天候の日以外は年中、漁に出かけている世帯もあるようです。ある家族は2人で小型の船に乗り、「夕方に1時間ほど沖合に出て網を仕掛け、翌朝6時~7時にかけて捕りに行くのが日課だった。」と、話してくれました。カニがよく獲れるシーズン(11月~1月)は、日に3~5kgのカニが獲れ、180ペソ(約450円)/kgで隣町から来るバイヤーに売っていたとのことでした。

しかし、今回の台風で、15隻の小型漁船が損壊。うち9隻は修復できたようですが、6隻については全壊で、修復不能な状況とのことでした。中古を購入するには、15,000~16,000ペソ(約38,000円)、それにエンジンを付ける場合は追加で9,000ペソ(23,000円)かかるとあって、容易に手が出るものではありません。カニ漁に使う網(材料を購入して自分たちで手編みする)の材料費をマイクロファイナンス(小規模金融)で借金している世帯もあり、船がなくなり、漁に出られなくなった中、借金の返済が滞っている世帯も見られました。

小型漁船と海岸戦
台風時に大破した小型漁船。修理は難しい
カニ漁に使う網や道具。漁船が壊れ、漁に出られないため、使われずに放置
カニ漁に使う網。マイクロファイナンスでの借金が残ったまま

NAMASAJOのこれまでの活動と復興に向けた取り組み

NAMASAJOは2001年に設立された小農組織で、現在は約60世帯強がメンバーとして活動を続けています。2000年代初め、包括的農地改革計画(CARP)の対象となった同地域の農地をNAMASAJOで管理できるよう、当時のボホール州知事と交渉。同農地を希望するメンバーに分割して個々が耕作してきた他、10ヘクタール余りの共用部分をメンバーがローテーションで耕作できるようにしてきました。

高地では野菜やバナナ、ココヤシなどを植え、比較的低地では、NAMASAJOが共同管理している近くの溜池から水を引き、コメの2期策を行なっています。溜池からの灌漑用水を使うメンバーは、収穫後に1袋(50 kg)分のコメをNAMASAJOに納めることになっており、それによって、溜池のメンテナンス等を組織で継続できるようにしています。

NAMASAJOの共用農地の一部(水田)。雨季を待って田植えをする
NAMASAJOが共同管理している溜池

また、溜池では、自治体(マビニ町)の支援の下、ティラピアの養殖業も共同で行なってきました。1年に2回収穫でき、作業を主に担うメンバーへの手当てなどを差し引いても、一度の収穫で、20,000ペソ(約50,000円)近くの純益をあげることができていたということです。組織のメンバーで共用している農業用のトラクターや水汲み上げポンプなどのメンテナンス、また組織のさまざまな活動にあたって必要となる交通費や食費などに役立ててきました。

しかし、2021年12月、ティラピアの幼魚を溜池内の生け簀に放流したちょうど一日後に、台風Odetteが同地域を直撃。溜池自体は台風の影響はありませんでしたが、生け簀は壊れ、ティラピアの収穫はできませんでした。

ティラピアの養殖に使っていた道具
台風時に溜池の外に流され、壊れたまま
NAMASAJOのトレーニングセンター跡。センターは全壊

その他、NAMASAJOのメンバーが使っている共用の農地内には、農耕機械や収穫したコメ等を保管したり、堆肥づくりの場所を備えた共用施設がありましたが、今回の台風で倒壊してしまいました。その近くにあったトレーニングセンターも全壊し、跡形もない状況となっています。

2月下旬にWDCを通じて支援の申し出があった際は、NAMASAJOのメンバーで話し合った結果、家屋の損傷が確認された個々の世帯に対し、屋根用のトタン板を支給することを決めました。

現在、上段で述べたとおり、個々の家族はいまだに復興への途上にあり、それぞれのニーズがあります。しかし、限られた予算で全家族のニーズに応えることが難しい中、農地内のNAMASAJOの共用施設の復興を希望する声もメンバーの中では聞かれました。どちらを優先するか、あるいは、どちらも支援する形にするか、今後、NAMASAJOのメンバーの中でじっくり話し合い、結論を出すことになっています。

農民組織と支援者への人権侵害と弾圧の状況

今回の寄付の支援先となっているマビニ町サン・ホセ村農民組織(NAMASAJO:ナマサホ)とトリニダッド町・タリボン町統合農民組織(TTIFA:ティティファ)は、両組織ともに「共産主義者」、「ゲリラ」といったRed-tagging(赤タグ付け)の対象となり、当局に目を付けられてきました。農民組織の活動に参加しないよう脅迫を受けるなど、特にリーダーは繰り返し嫌がらせを受けています。

また2021年6月24~25日にかけての真夜中に、NAMASAJOの支援者であったフィリピン合同キリスト教会(UCCP)のナサニエル・バレンテ牧師(通称パスタードド)と、ボホール州全体の農民支援団体である農民開発センター(FARDEC)のカミロ・タバダ氏(通称イロイ)が、それぞれマビニ町の自宅とトリニダッド町の自宅で、警察・軍によって不当に逮捕されました。

罪状は武器の違法所持でしたが、その場にいた家族などの証言によれば、夜中に家のドアを銃などで激しく突き破られ、押し入ってきた当局が、自分たちを外に連れ出している間に、証拠を捏造するために武器などを家の中にわざと置いたということでした。こうした当局による証拠の捏造は、他の地域でも人権活動家や農民リーダーらに対して取られている常套手段の一つとなっています。

二人は現在(2022年5月時点)もボホール州内の別々の刑務所に入れられたままです。コロナ対策を理由に、この間、両名の家族は本人に会うことを一度も許されていないとのことでした。

自分たちの町で身近な支援者が不当逮捕された後、これまでも脅迫を受けてきたNAMASAJO及びTTIFAのメンバーの中に益々萎縮し、農民組織を敬遠する者が出ていることは想像に難くありません。

それでも、2年間のコロナ禍での集会等の制限がようやく緩和されてきた今、自分たちの生活の向上のため、農民組織での活動や話し合いを続けていこうとする農民リーダーやメンバーもいます。厳しい状況の中、力を合わせて苦難を乗り越えていこうと、農民組織の活性化に向けて動き始めている農民の皆さんが現地にはいらっしゃいます。

※こうした農民組織がなぜ当局の弾圧の対象になるのか、その背景については、こちらもご参照ください。
続くボホール小農民・活動家への抑圧 栗田英幸(愛媛大学准教授)

 

関連する記事

フィリピン台風被災地(ボホール州)の農民・漁民への寄付のお願い

開発と人権

フィリピン台風被災地(ボホール州)の農民・漁民への寄付 ご協力への御礼と報告

開発と人権

関連するトピック

関連するプロジェクト