脱原発・エネルギーシフトに向けて
ふくしまを「聴き」、ふくしまと「出逢い」、ふくしまと「つながる」
~脱原発世界会議「ふくしまの部屋」レポート~
―命は地球より重い
―今ここから いのちは美しい
―希望を持ち続ける
―やさしい光に私もなりたい
―前を向いてともに生きていける社会・地球をつくりましょう
―明るい未来を子どもに残す、つながればきっとできる
2日間のふくしまの部屋での最終企画を終えたとき、参加者の方々が残してくれた言葉です。
「ふくしまの部屋」では、福島の人たちが直面している現実や思いに耳を傾けること、そして、共感した人どうしがつながることを目的として、福島からの参加者、避難中の人、全国からの参加者がさまざまな形で対話を行いました。
2日間を通じて、じつに多様で厳しい現実、苦悩や葛藤が語られました。時間の制約があり、語り尽くせなかったという参加者の方も大勢いらっしゃったことでしょう。
それでも、対話を通じて出逢いや相互理解も生まれました。対話を終えたとき、ひとりひとりの心にやわらかい光が灯ったような、それぞれが秘めている可能性が内側から感じられたような、そんな雰囲気に包まれていました。
その光は、一人ではなく皆とつながっている感覚と、ともに未来へと踏み出していけるという希望を携えていました。冒頭の参加者の方々の言葉はそれを表しているといえるでしょう。
>「ふくしまの部屋」で聴かれた声(抜粋)はこちら
【深める】対話で起きたこと 「生きているから変えられる」
【深める】対話では、福島の方々のお話に何度か出てきた、異なる立場の声―子どものため避難を続けたい夫の声、(年老いた父母のため)福島に戻りたい妻の声―を取り上げて、ロールプレイを行いました。
子どもたちが作った切り絵の「家」で舞台を造り、最初は2人から、徐々に2人を囲むように色々な人が参加します。
話は「世界最大の産業事故を引き起こしたのは誰だ?」という問いに及びます。
―― 経済産業省?政治家?東電?体制側?そう思っていられるのは幸せだ
―― 実は本当の敵は“自分自身”
次に、自分の中の「怒り」を体で表現してもらうと、相手を「刺す」仕草でした。知っていながら事実を隠し、人びとを騙し、多くの命を犠牲にしようとしている“相手”に対しての怒り。と同時に“自分自身”をも刺していることに気づきます。体制側に投票してきた私、ふがいない私、無関心な私を罰していました。
―― 歴史は繰り返される。人類はこれまで殺しあってきた。今それが目の前の相手に変わっただけだ
―― 自分を責めるだけでは何も始まらない。そのエネルギーを未来をつくるエネルギーに変えていこう
舞台の外からも声がします。
ロールプレイは次のように締めくくられました。
―― 亡くなっていった人々に思いを馳せるよ。でも、今、自分はここに生きている
―― 俺は変われるだろうか?自分を信じていいのだろうか?
―― 生きているから、変えられる
最後は肩を並べて一つの輪になり、気持ちを共有しました。皆で力を合わせて未来を変えていこう。言葉にならないつながりの感覚とともに、微かな希望の光がひとりひとりの心に静かに灯された時間でした。
対話がもたらしたもの
~エンパワー、相互理解とつながり、そして次へ
私たちは、対話を経て、ひとりひとりのエンパワーメント(自分の内側から力を感じること)、葛藤・疲弊・孤独などの感情から希望を持って歩もうという願いへの転換、相互理解と“つながり直し”を体験しました。
深い対話では、自分の身近に起きていることと社会で起きていることとのつながりや、地球規模、または歴史を通じて繰り返される構造的問題への気づきももたらしました。
こうした対話の機会は、参加された方々が自ら力を取り戻し、未来をともに創る仲間とつながり、新たな行動を生み出す可能性を感じさせてくれました。すでに、参加者の有志がインターネット上で次の行動を話し合いが始まり、それぞれの現場で動き出しています。
この動きは、脱原発にとどまらず、本当の民主主義、思いやりのある社会、コミュニティの再生、自治、持続可能性など、私たちが目指すものの実現に向けた素地を与えることでしょう。また、他の市民活動とも合流することで、社会を変える市民の取り組みに推進力を与えるでしょう。
ふくしまこそが、これからの日本を、世界を救う鍵を握っているのではないでしょうか。これからも福島の人々と対話を通じてつながり、ともに歩んでいけたらと思います。
(報告:渡辺瑛莉)
「ふくしまの部屋」2日間のプログラム
【日時・場所】 2012年 1月14日・15日 パシフィコ横浜 315 >開催案内はこちら |