一方、極東ロシアの側にとっても、日本はソ連時代から最大の木材輸出先となっています。とくに、ソ連崩壊後は日本の木材需要を見越して多くの私企業が登場しています。ロシア科学アカデミー極東経済研究所のA.シュインガウズ博士ほかが1996年に記したレポート※2によれば、極東ロシアのタイガで伐り出された木材の行き先、消費地は、このようになっています。
旧ソ連時代
50%が極東ロシア内で消費
25%が輸出(うち8割が日本向け)
25%がキルギスタンなど、旧ソ連の他地域に移出
旧ソ連崩壊後、1990年代前半
50%が極東ロシア内で消費
50%が輸出(うち8割が日本向け)
90年代後半の数値についてはこちらをご覧下さい。
レポートでは、キルギスタンなどへの移出は1994年以降途絶えているとされています。これは木材の輸送に利用されるシベリア鉄道の運賃が高騰して採算割れになったため、とされています。
ここで注目したいのは、1990年代に入って極東ロシアの木材需要は減少していたにも関わらず、伐採企業や木材輸出企業の数がむしろ激増したことです。これはすなわち、この地方のロシア人ビジネスマン達が、外貨の稼げる対日木材輸出に賭けたということでした。国内の製材工場に丸太を売っても儲けは出ませんでしたが、日本に丸太を輸出すれば国内価格をはるかに上回る価格で売ることが出来るうえ、日本の買い手との決済は米ドルで行なわれました(この米ドルが、ロシアの人々にとっていかに魅力的であるかは改めて言うまでもありません)。
日本への木材輸出は、ソ連時代は政府の外貨獲得手段のひとつとして位置づけられ、国営企業が独占的に行っていました。ソ連崩壊後は数百もの伐採会社や輸出会社が現れてタイガの木材を日本へ輸出するようになりました。タイガで丸太を伐り出して日本に輸出することが、この地方のビジネスマン達にとって最も手っ取り早く現金を稼ぐことのできる手段となった訳です。
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