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南 の 島 の 楽 園 を 救 え 。 

マーシャル諸島文化

 マーシャル諸島にいると、よく「マーシャリーズ・タイム」という言葉を耳にします。これは、マーシャル諸島に流れる特有のゆったりした時間の流れを意味する言葉で、そのとおり、マーシャルの人々はマイペースで生活しているように思えます。
マーシャルの島々は長い年月をかけ、独自の文化を進化させてきました。特に顕著に見られるのが、イロウジ(酋長)、アラップ(部族長)、リジャラバル(労働者)と、3段階ある社会階級制度です。イロウジは土地の所有・敷地内の作物や魚の分配・紛争の鎮静に対して絶対の権利を持っています。アラップの義務は、酋長に任された土地の管理と日常任務の遂行です。リジャラバルたちは工事・野良仕事・魚を獲るなどの仕事の責任があります。一応このようにはなっているのですが、マーシャル諸島共和国観光局に務めるスザンヌさんの話では、アラップが実際には一番強い権限を持っているのではということでした。 また、土地は12のカテゴリーに分けられており、それぞれ女家系の遺産として継承されていきます。
 マーシャル諸島では、海洋に囲まれていることから、自分達の住んでいる島々とその周りの海の環境に適応するべき技術を開発し、それを生活に取り入れてきました。例えば魚の取り方、これひとつにしても魚の種類やその住んでいる環境に応じてさまざまなバリエーションの技術や方法を持っています。






 マーシャルのカヌーは、アウトリガーカヌーと呼ばれるものが多いのですが、小さな漕ぐタイプのものから、早いスピードで外洋を帆で航海できるものまでいろいろあり、それは1800年代前半にマーシャルを訪れた西洋人 オットー ボン カッゼブを驚かせるほどの近代においての世界最高水準の航海術でした。マーシャルのカヌー技術のすばらしさは太平洋のなかでもかなり高度なものでした。
太古の昔、マーシャル諸島にやってきたミクロネシア人は航海術に長けており、離島の位置で波のパターンが決まることを発見しました。これを発展させ、地平線上にも見えない離島の位置を特定したといわれています。棒切れとコヤス貝で「スティックチャート」と呼ばれる海図を作り、波浪パターンを読んでいました。その航海術を活用し、アウトリガーカヌーに乗って遠く離れた環礁間を行来していたのです。
時間が過ぎ、多くの技術や知識が形だけになってしまったりしています。昔からの航海士たちは星、雲、波、潮、風、鳥そして海の色からでさえも海の動きを読み、海を渡り歩く事が容易にできました。これらカヌーの製作・デザインの技術と、マーシャル人の航海術の組み合わせにより、東はハワイ、北はウェイクアイランド、西はポナペ、そして南はキリバスと航海していました。

 現在のマーシャル諸島の大衆文化には、20世紀前半から各国の支配を受けていた影響が色濃く出ています。食事にしても、レストランに足を運べば、刺身があったり、アメリカンなものが数多くあります。第2次世界大戦中には日本軍が前線基地を置き、日本語教育を行ったことから、今でも日本語を話せるお年寄りもいて、親日派の多い国でもあります。
ココナツの樹液からできるシロップを煮詰めて作るお菓子はマーシャル語で「アメダマ」といったり、野球は「ベースボール」じゃなく、「ヤキュウ」とよばれ、昔、日本人がいたことを物語るかのように、たくさんの日本語がマーシャル語として残っています。(マーシャル語情報はこちら)
また、「アミモノ」というマーシャル語になっている伝統工芸品も有名です。

このように、マーシャル諸島共和国の人々はマーシャル文化、日本とアメリカ文化の混在した興味深い社会の中で生活をしています。
使用言語はマーシャル語と英語が公用語でほとんど英語が通じますが、子供やお年寄りの中にはマーシャル語だけをしゃべる人もいます。前述したように、お年寄りの中には日本語がしゃべれる人もいて、彼らと言葉を交わしたときには皆さんにもぜひ体験していただきたいほどの感動を覚えました。
通用通貨は米ドルですが、自足自給生活や物々交換も未だ健在です。
宗教に関しては、大航海時代にキリスト教が伝えられたことから、国民の90%以上がプロテスタント教徒で占められています。毎週日曜には教会での礼拝が行われるため、にぎやかだったマジュロのダウンタウンなどは比較的静かになります。
また、ミクロネシアのほぼ全域と同じように母系社会で、土地相続などは母方の家系に引き継がれることになっています。

                                               (情報・資料提供 MIVA;マーシャル諸島共和国観光局)