10年後の福島〜バーチャルツアー~

福島支援と脱原発2024.7.10

スタッフの松本です。2011年3月の東日本大震災および東京電力福島第一原発事故から10年が経ちました。

FoE Japanではこの10年を迎える日に原自連主催の「原発ゼロ・自然エネルギー100世界会議」で様々なイベントを開催しました。その一つの企画として、事故から10年が経過した福島から生中継でお届けするバーチャルツアーを国際交流NGOピースボートと開催しました。今回、そのご報告をしたく思います。

本来であれば国内外から参加者を募り、福島の現状を見ることができればよかったのですが、新型ウィルスの蔓延により叶わず、せめて福島の現状を生配信し、様々な方に見て頂く事になりました。

協力して企画を作り上げてきたピースボートの皆さん、福島で案内をしてくださる方とともに準備をし、当日を迎えました。

午前中には、飯舘村に帰還し蕎麦の栽培をしている長谷川健一さんのご自宅に訪問し、自宅の周りを案内していただきました。自宅の周りには未だに除染され積まれた土が大量に積まれていました。いつそれが運び出されるのか、わからないといいます。

長谷川健一さんは元々酪農家で、震災前は50頭の牛がいましたが、震災があり屠殺せざるを得なかったのです。

「我々の家族と同じ牛、その牛たちによって、私達も生きてこられたわけですから、その牛を処分しなければならないと。泣くに泣けない状況だった」。

しかし、その後、震災の影響で餓死した牛の映像を見て、「これはダメだ、何か違う方法があるはずだ」ということですぐに東京に向かい、国会議員をはじめ、牛の処分をしないように訴えます。結果、処分しなくて良いということになりました。

その後、7年間の避難生活の中、長谷川さんはチェルノブイリ原発で廃墟となった街を訪れ、自分の故郷、飯舘村をチェルノブイリのような光景にはしまいと固く思ったといいます。

長谷川さんが飯舘村に帰還した後も、若い人は戻らず自らの子どもや孫も戻るようにも言えませんでした。

広大な農地がある中、機械に頼りやすい農作物が蕎麦でした。42ヘクタール(東京ドーム10個分)の広大な土地を蕎麦畑にしました。ただ、3人の仲間で蕎麦を作っているものの、長谷川さんが最も若いといいます。震災前は、一袋7~8千円でしたが、去年一昨年一袋500円。しかも人の口には入らず、家畜の飼料となりました。去年は2000円でした。

「汚染水にしろ、汚染土にしろ、全て臭いものには蓋をする。そして、地方に押し付けると。全て都合の悪いこと先送りにしている。そういうことはなくさないといけないと思う。」と長谷川さんは訴えます。

午後、去年開館した東日本大震災・原子力災害伝承館の前から、語り部として伝承館でもお話をしている高村美春さんに福島県の海岸沿いの地域、浜通りの現状をお話しいただきました。

津波で多くの方が亡くなった請戸へと向かう道中、原発誘致をめぐる葛藤を語ってくださいました。原発の恩恵をうける地域とそうでない地域、原発に反対する人とそうでない人の間で対立が生まれ、原発による交付金や補償をめぐり、分断が生じたと言います。慰霊碑の前に到着し、原発が爆発したため、避難指示が出て、捜索ができなかったことを振り返りました。原発がなければ、助かった命があったかもしれない。そう悔やむ方が多くいると語ってくださいました。

1年前に避難解除された大野駅の前で、高村さんは「国は帰還困難区域を解除させたい。けれども原子力緊急事態宣言は発令されたまま。おかしくないですか。なんでこんなにおかしいのに、おかしいって言えないんですか。この国はおかしいということも言えないんですか。」と未だに線量の高い地域を解除していくことに対して憤りを感じるといいます。

2017年に避難解除した富岡では、帰還した板倉正雄さんにお話を伺いました。「富岡の夜ノ森は子どもたちにとって故郷ではなくなってしまった。子どもたちは避難先の人になってしまった。」と帰還した人が未だに少ない富岡について話します。

富岡には日本有数の桜並木があります。それを見せるために夜ノ森駅を建て替え、道路だけを避難解除しているといいます。とても不自然な避難解除となっているのです。駐車している車のナンバーも全国から来ており、青森ナンバー宮崎ナンバーなどを見かけるといいます。そして、93歳になっても車を運転し、スーパーや診療所に行っているそうです。

最後に高村さんとともに伝承館に戻り、高村さんにとって10年とは、そして国内外の皆さんに伝えたいことについて語っていただきました。

「語り部として、伝承館で話をしていて、この10年毎日ただ生きてきただけ、その間苦しいこと悲しいことたくさんありました。ただ、そればかりではありません。たくさんの方が気にかけてくださった。助けてくださって、嬉しいことも悲しいことも一緒にいてくださる、そんな10年でもありました。世界の悲しみや苦しみ、そういったものはすぐには消えないかもしれません。けれども、気がついたときに自分が変われば世界も変わるんだと思い、こうやって言葉を紡いできています。今被災地を知った皆さんたちが今変わるときではないでしょうか。そして、この福島から、世界の皆さん、日本のみなさんが関心を持ち続けることで、私達は救われると思っています。私達を忘れないでください。どこか心の片隅でもかまいません、どうかこの福島のこと、忘れないでいてください。」

高村さんの強いメッセージ、そして現地の様子を見て、改めて10年で原子力災害は全く終わっていない、問題は山積していると感じました。

バーチャルツアーでは通信環境などが悪く途中途切れている部分がありますが、ぜひ現地の映像をご覧いただければと思います。

 

関連するトピック

関連するプロジェクト