原発を退けた人々の力(2)韓国慶尚北道ヨンドク郡~地域民主主義そのものを問いかけ、やりとげた

福島支援と脱原発2024.7.17


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韓国の東海岸に位置する盈徳(ヨンドク)郡(慶尚北道)。人口4万5,000人ほど。美しい海とズワイガニの産地として知られ、カニが郡のシンボルマークとしてあちらこちらに目につく。

ここでは、3回にわたり放射性廃棄物の処分場の候補地となり、さらに原発建設の計画がもちあがった。ふるさとを守るために歯を食いしばって前に進み、地域の分断を乗り切り、「地域の運命は、住民自らが決める」ことを重視し、最後には住民投票で原発反対の住民の意思を示すことに成功した人々のたたかいについて話をきいた。以下、聴き取りの内容をまとめた。

処分場反対で、つまはじきに

「最初の2回の処分場建設計画のときには、地域全体がまとまって反対しました。しかし、2005年の3回目の処分場計画の時は、そうではありませんでした」と、元ヨンドク核発電所誘致住民投票推進委員会のキム・オクナムさん。行政が「ヨンドクの発展のきっかけのため」と誘致に積極的になり、反対運動は行政と対立したのだ。「地域の発展を邪魔するのか」と白い目でみられた。反対をした人たちは地域の親睦団体からもつまはじきにされ、仕事もこなくなり、生活すら厳しくなった。精神的にもぼろぼろになってしまった。組織も崩れ去ってしまった。
このときは、キョンジュ、ポハン、ヨンドク、グンサンの4つの候補地で住民投票を行い、最終的には最も誘致賛成が多かったキョンジュに決まった。反対派が勝ったともいえる。しかし、それはあまりに苦いものだった。

今度は原発建設構想がやってきた

写真 2017-11-25 16 21 48そして、2011年、今度は原発建設の構想が持ち上がった。この計画は、予定地の敷地の399人の同意だけで決めてしまったため、「郡民全体の意見をきくべきではないか?」と郡議会に陳情を行った。これには保守派・原発推進派が圧倒的多数を占める議会も、「民主主義の手続きが足りなかった」ということで、特別委員会を設置し、全体の意見を調べる必要があるということになった。地域全体でも8割が朴槿恵(パク・クネ)大統領支持ということで、住民投票にかけたとしても賛成派がかつのではないかと思われた。
キム・オクナムさんたちには迷いがあった。前回の処分場誘致のとき反対した人たちは、生活が崩壊し、組織も崩壊し、深い傷を負っていた。果たして住民投票をする実務、力量があるのか。資金があるのか。
それでも、結論としては、外からの力を借りながら、なんとかやりとげるしかないということになった。全国の脱原発運動に取り組む団体の力をかりることになった。

地域民主主義そのものを問いかける

しかし、いざ、住民投票をやるとなると、国も道も郡も、この住民投票は「違法」だと言い出した。「原発建設は国家事務であり、住民投票の対象ではない」というのだ。住民が自ら、自分たちの意思を示すことを、政府は恐れたのだろう。

住民投票の実施は、「中央が決めることに地域は従うのか? 地域の重要なことは地域住民自身が参加して決めるべきではないか?」という地域の民主主義そのものの問いかけとなっていった。キムさんたちは、「地域の重要なことを地域の住民自身が決めていく。そのための意見表明の場である」ことを強調し、賛成・反対の違いによって後で感情的な対立を生むことがないよう、投票のプロセスが公平であるよう、細心の注意を払った。これは切実な問題だった。
政府や韓水原の宣伝はものすごかったという。「ヨンドク史上、ここまで全国に報道されたことは初めてでした」とキムさん。地域全体が、原発賛否をめぐる、双方のプラカードで埋め尽くされた。韓水原などは投票不参加の勧誘に取り組んだ。

1万人が原発誘致に反対票を投じた

選挙人名簿もなく、資金もなく、媒体もなく、反対運動はボロボロだったし、さまざまな葛藤があったが、キムさんたちは、やりとげた。とにかく住民たちは自分たちの意思をあらわしたかったのだ。
2015年11月13日住民投票の結果が出た。1万1201人が投票。うち原発誘致反対が91.7%。誘致賛成は7.7%。
政府側は投票率は32.5%とした。今回の住民投票は、住民投票法に基づくものではなかったが、住民投票法上、有権者数の3分の1以上が投票しなければ、無効となり、開票もされないため、投票率が3分の1を超えるかどうかが注目された。選挙管理委員会の協力が得られなかったキムさんたちには選挙人名簿がなかったため、有権者数の正確な数はだれもわからなかったが、前回の住民投票の有権者から不在者を除いた数を母数とすると、投票率は33%をはるかに超えるとした。

とにかく彼らはやりとげた

住民が自らの地域の運命を自分たちで決める。私たちがやった住民投票の本質はそこだ。もう一度、同じことをしろと言われてもできないだろう」とキム・オクナムさんは言う。

「私は、自分のふるさとが100年後も続くことを願っている。ムン・ジェイン政権になって、脱原発方針に舵を切ったことは歓迎したい。地方自治のあり方もよい方向に変わるだろう。私たちの住民投票が、ムン・ジェインを生み出した民主主義の力に貢献したと思っている。もう一度、同じような住民投票がすぐに必要になるとは思わないが、そのときは、その時代の人たちががんばることになるだろう」
「一方で、原発に反対するのならば、それでは地域のどういう未来を描くのか、それを具体的に示していかなければならないだろう。それがまだできていないことには忸怩たるものを感じている」

牧師さんで、先立つ処分場計画には賛成だったペク・ウンヘさん。福島原発事故を契機に考え方を変え、住民投票推進委員会の共同委員長となった。

福島原発事故は、原発の危険性、核の恐ろしさを考えさせるきっかけとなった。私は考えを変えた。反対運動をすることは、国家と対決することでもあり、自分の人生を厳しいところにおく選択になる。キムさんとは友達だが考え方は違う。しかし大同小異で、大きい目的を達成するために、手を携えていくことは重要だった」。

この住民投票では、本当にいろいろな葛藤もあった。この保守の地域で、政府に反旗を翻すことは人生をかけることでもあった。

しかし、分断を乗り越え、前をむき、希望と民主主義の力を信じて、彼らはやりとげたのだった。その勇気と意思の力に、心から敬意を表したい。(満田夏花)

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