311シンポジウム 福島を忘れない(その①)
こんにちは。スタッフの深草です。
今年2016年は2011年福島第一原発事故からちょうど5年、そしてチェルノブイリ原発事故から30年の節目に当たります。FoE Japanは震災以降、福島支援・脱原発に力を入れてきましたが、この5年で起きた事、今の課題、そして向かうべき未来を見据えてシンポジウムを開催しました。
震災から5年経ちますが、以前原発事故の収束からは遠く、被害者の現状は厳しいと言えます。
そして、避難計画の策定も実質中身のないまますすめられる原発再稼動…
シンポジウムでは福島でがんばるお母さんや、避難した方、長年チェルノブイリ原発被災者を支援する方や海外の活動家、様々なゲストにお越し頂きました。
会場も満員で、資料がなかなか行き渡らなかった方々、立ち見になってしまった方々には大変ご迷惑をおかけ致しました。この場をお借りしてお詫び申しあげます。
資料はこちらに掲載しています。
シンポジウムの様子はUPLANさんが録画してくださいましたので、こちらからご覧頂けます。
>【前半】<第1部>福島 <第2部>チェルノブイリ
https://www.youtube.com/watch?v=R1gLtdAX1xE
>【後半】<第3部>今、必要なこと
https://www.youtube.com/watch?v=aCF-T4nPZ0E
また、五年目に当たり、FoEJapanでは国際声明を発表。
19カ国85団体から賛同を頂きました。
>国際声明「核の脅威のない未来に向かって」
シンポジウムの第一部では福島の方々にお話を頂きました。
最初に、飯館村の元酪農家長谷川健一さんにご登壇いただきました。長谷川さんは、震災後の初動対応について説明。「放射能について何も心配ない」と説明をうけ、避難された方が戻って来た経緯がありました。ですが、その後、計画的避難区域となります。
原発事故と避難をきっかけに、自殺を選んだ農家の方や高齢者の方がいたこと、今も多くの人々がストレスを抱えている事を話されました。家族皆で暮らしたいと思いながらもその難しさを感じていると長谷川さん。この現状を打破するために、声を上げつづけなくては行けないと、しめくくりました。
次に福島から京都に避難されている宇野さえこさんです。宇野さんは避難者の権利を求める、全国的な運動を行われています。現在、福島県の避難者は9万8千人とされていますが、自主避難(区域外避難者)の数は正確に把握されていません。来年三月には区域外避難者への住宅支援は打ち切られてしまいますが、弱い立場にいる避難者の人達の命綱を切ることであると話されました。帰宅困難区域の解除も進んでいます。
これからも続くであろう災害の最初の5年でどんどん支援が打ち切られている状況は、今後の先行きの暗さをあらわしています。また、避難者同士の溝、支援の差、様々な社会的な問題も指摘されました。
押山さんは、福島市でくらす3児のお母さんです。押山さんは、避けられたかもしれない被曝に対する無念の思いと、甲状腺がんへの不安を持っていることを話し、回りのお母さんや人々の間にある、放射能への意識や考え方のちがいで、傷つく事もあると話されていました。「私の中での311は5年経ってもかわりありません」と言葉を詰まらせていました。
(続く)