「見える化」プロジェクト 3.11から続く日々…福島からの声

福島第一原発事故から9年たちました。事故による痛みや苦しみ、事故により失われたもの、事故により負わされたもの、それでも立ち上がろうとする人たち…。 FoE Japanは、原発事故被害の「見える化プロジェクト」の一環として、こうした人たちのインタビュー映像を制作しました。今後、順次公開していく予定です。


【福島県大熊町から新潟県に避難した大賀あや子さん】11分56秒

チェルノブイリ原発事故後に原発の危険性を認識し、脱原発運動に参加するようになった大賀さん。福島第2原発の事故などもあり、福島に通ううち、福島のすばらしさにほれこんで、移住を決意。「原発がなければ、いや、原発があってもなんていいところなんだろう」と思ったそうです。農業を学び、友人の建築士に依頼し、阿武隈山地の木材をつかったこだわりの家を建てました。その家に入居する直前にあの事故が起こったのです。2013年末、新潟県に避難した大賀さんは「もう最初の春がすごい幸せで、もう見るもの、触れるもの、全てが大丈夫なんだ」と感じたそうです。それだけ、原発事故後の生活は苦しいものでした。2020年3月に大熊町の一部で避難解除されましたが…。ぜひ、大賀さんの話をおききください。


【福島の漁師たち】12分31秒

「やっぱ生業として継いだんだからよぉ、ずーと続いでもらいたいよ。海を守るのはやっぱり漁業者だべよ」と語ってくれたのは、福島県新地町で漁師を続けている小野春雄さん。
福島第一原発事故により、福島の漁業は大きな打撃をうけました。一時期は漁獲制限がかかり、漁業にでることもできました。その後、漁業者たちは、試験操業を行いつつ、独自に放射能測定を行うなど、信頼を回復する 努力を積み重ねてきました。漁業の復興に向けて一歩ずつ積み上げ、ようやく漁獲制限がすべて解除になった矢先に…。漁業者たちの言葉に苦悩がにじみます。
政府が、福島第一原発のサイトで増え続ける処理汚染水を、大気中もしくは海洋中に放出することが「現実的」という報告書をまとめたのです。
福島県漁業協同組合連合会の野崎会長は、「地元の海洋を利用し、その海洋に育まれた魚介類を漁獲することを生業としている観点から、海洋放出には断固反対であり、タンク等による厳重な陸上保管を求める」と強く反対しています。
「昔から獲ってきたのは魚です。その魚を本当に安心して食べれるような状況じゃなくなってしまったら、この子どもたちの将来はどうなるのと、だから(大熊町の住民で)自分の土地を使ってもいいよという人もいます。でも国はいっさい私たちの意見には耳を傾けません」熊町長議会議員の木幡ますみさんは語ります。


【子どもを連れていったん避難し、帰還したあるお母さん】11分30秒

「震災当時、2歳の子どもと、お腹には妊娠8ヶ月の子どもがいました。」
出産後、喜びに浸る暇もなく、関西方面へ避難し、3人で過ごしていたと言います。
「主人の仕事も違う土地で一から始めたのですが、すごく大変で、3、4回変えることになってしまって安定もせず、お金がどんどんなくなっていくし…」
避難から5年後、福島に戻ることを決断します。
帰還した時、「避難させてあげられなかった自分を責めたり、避難した人達はいいよねという話を聞くことも」あったといいます。一方で、「避難した人も大変だったのね」って言われ、「ストンと落ちた」「同じ言葉をかけてあげたいと思います」と語りました。
避難した人も、避難しなかった人も、それぞれに苦労があり、どちらも経験しているお母さんのお話です。


【福島県富岡町に帰還した板倉正雄さん】7分15秒

「福島を見ていない人はこの現実を想定できないでしょう」 2017年に避難解除された福島県富岡町。東電福島第一原発からおよそ6kmのところに板倉さんの家があります。富岡町に帰還した板倉さんを福島県三春町に住む武藤類子さんと訪ねました。 放射線量が未だに高いことから、孫や子どもたちを呼ぶことはないと言います。利用できるお店やサービスが限られているため、90歳を超えても今なお車を運転しなければ生活ができないなど、旧避難指示区域の富岡町の様子を語ってくださいました。ぜひ、板倉さんのお話をおききください。


【福島県浪江町から避難した今野寿美雄さん】4分56秒

「一番聞きたくない言葉だね。絆とか復興なんていうのは。そんな軽く言う話じゃない。復興って、一旦元に戻ってから、さらに再びね、立ち上がることでしょ。元に戻らないのに、そこから立ち上がることなんて復興なんてありえない。」
福島第一原発からおよそ10kmの自宅の前で話す今野さん。
「帰ってきている人ほとんどいない。この地区は。」
「若い子はとてもじゃないけど、人っ子一人いない。」
思い出のつまったご自宅も、残念ながら解体する予定だといいます。
「子どもにとんでもない負の遺産を残したくないからね。」


【福島市大波地区に帰還した小池光一さん】8分57秒

「朝行ってぐるっと回ってきて、採集してきたものでご飯を食べる。それが全くできなくなったというのが楽しみにがなくなっちゃったというのがね、ひどいですね。」

福島市にある大波小学校の除染費用に1億円も投入したにもかかわらず、結局は廃校になった校舎の前で語ってくださいました。除染費用を子どもたちが避難するための経費に使用するべきだと、当初の説明会から主張していましたが、「結局はゼネコンの金儲けに利用させられた」と言います。


【武熊明子さん(NPO法人市民放射能監視センター ちくりん舎)】3分15秒

武熊 明子 (たけくま・あきこ)さんプロフィール: NPO法人市民放射能監視センター ちくりん舎。原発事故後、地元東京都多摩市で放射線測定をはじめ、福島でも測定を続ける。

「自分たちの身にも何か危険が迫ってるんじゃないかという危機感」から福島などで放射線測定を続ける武熊さん
東京オリンピックの聖火リレー・コース沿いの放射線測定に福島に来ました。

「やっぱり自分の目で見ると、いろんな考え方ができるんで」

と実際にその場所に行くことの重要性についてのお話が印象に残りました。


【中村順さん(ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト)】6分6秒

中村 順 (なかむら・じゅん)さんプロフィール: ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト。原発事故後、福島県南相馬をはじめ、浜通りで①空間線量率の測定(地上1cm、50cm、1m)、②表面汚染計数の測定(地表1cm)、③土壌採取による放射性物質の含有分析を続けます。

「どうも国や東電は正直に測定の値を出していないような気がした」と福島で放射線測定をするきっかけを話す中村さん。

7年以上測定している中村さんは、

「土壌に関しては下がってきている感触はあんまりないです」 「聖火リレーをめでたくやりましたということで、福島の事故が終わったかのような印象をね、国は広めようとしているんだろうけど、それはとんでもない間違いであると、いうことをやっぱり明らかにしたい」

復興五輪と呼ばれる東京オリンピックに対して、懸念を示します。


【伊藤延由さん(飯舘村村民 農民見習い)】8分45秒

伊藤 延由(いとう・のぶよし)さんプロフィール: 飯舘村村民。原発事故後、飯舘村に帰還し、住み続け、飯舘村における放射線の測定を続けています。

「2010年、1年だけ農業やるんですよ。米8トンも取れて。だから私『農民見習い』になっているんです」と語るのは福島県飯舘村に住む伊藤さん。
伊藤さんは飯舘村や国の政策において、

「被ばくのリスクは一切語らない」「本当に腹立たしい限りです」

と危惧しています。今も線量の高いのにも関わらず、認定こども園が新設されるなど、飯舘村は様々な複雑な問題を抱え、伊藤さんは間近で見続けています。


【長谷川健一さん(福島県飯舘村村民、元酪農家)】聞き手:武藤類子さん(三春町在住) 7分14秒

長谷川健一さんプロフィール:原発事故当時、飯舘村前田地区の区長。同年8月、伊達市伊達東仮設住宅に避難。村民の約半数が申し立てた原発被害糾弾飯舘村民救済申立団の団長を務めた。現在は、飯舘村に帰還し、そばの栽培など農業復興に携わる。

「原発はすべてのものを奪った。昔は子どもたちがおり、子どもたちと一緒に山にいって、山菜をとって、いろいろと教えたものだ。そんなことは今は何もできない。山菜もたべられない。」と指摘する長谷川さん。
「結局我々みたいな放射能被災地っていうのは邪魔だから日本では早く無くしたい忘れさせたいっていう考えで進んでいる。まず国のお金によって箱モノをどんどん作って、それを、メディアで全国放送でやるわけだ。それでもうどんどん復興が進んでいるっていうことに国はしようとしている。」


【菅野みずえさん(福島県浪江町から関西に避難)】 聞き手:武藤類子さん(三春町在住) 10分56秒

菅野(かんの)みずえさんプロフィール:自宅は事故を起こした東電福一から27km。帰還困難区域となり、浪江町から関西へ避難。「畑を耕しながら浪江町の続きを暮らしています」と語る。「事故を黙らない。それが67歳の私にできる原発を許した世代の責任の取り方だと思っています」という気持ちで、原発事故当時について各地で講演している。

「15日の朝、耕運機のガソリン抜いて、軽自動車に入れて、息子と犬と逃げたんです。」「ガソリンどこも入れてもらえなくて。長野へ向かって逃げれば岐阜へいけるから、とにかく長野を目指せって。息子と狭い車内で喧嘩しました。」
高速に入って、最初のパーキングでラ・テを飲んだときに涙があふれて止まらなかったといいます。「ここはなんで普通の日常があるの。私たち明日が見えないのに…」。


【菅野正寿さん(福島県二本松市で有機農業に取り組む)】10分20秒

菅野 正寿 (すげの・せいじ)さんプロフィール: 有機農業者。前・福島県有機農業ネットワーク代表。水田、トマト、野菜・雑穀、農産加工(餅、おこわ、弁当)、農家民宿による複合経営を行う。

「原発事故によって改めて、電気、石油漬けの暮らしを転換しなくてはならないと思った。トラクターは、天ぷら油のベジタブルオイルに切り替えました。それから屋根にはソーラーを上げる、民宿では薪ストーブを使う。3・11の前の暮らしの延長線ではダメじゃないかと痛烈に思ったのです。」
「我々福島県民がもっと発信しなくちゃいけないです。二度とこういうことがあってはならない。山も川も土も汚した、生産者と消費者も分断する。じいちゃん、ばあちゃんと孫の食卓まで分断する。仲良くくらしていた隣近所もバラバラにした。そういうくらしを奪った原発はもうつくってはならない。再稼働してはならない。」


>今後、多言語で発信していきます。まずは、長谷川健一さんのインタビューを以下の言語で公開しました。
英語 https://youtu.be/K8njLkMigH4
スペイン語 https://youtu.be/BGDr5lx802c
中国語(簡体字) https://youtu.be/oMggklYU3fI
中国語(繁体字) https://youtu.be/_pqRsS75uDM
フランス語 https://youtu.be/YOq1W70CwAE
韓国語 https://youtu.be/LedYXWwvxXY
ドイツ語 https://youtu.be/3yxfNGnbCPE


※このインタビューは庭野平和財団の助成金プログラムの支援を受けて制作しました。


FoE Japanの「福島見える化プロジェクト」によるインタビュー映像、随時公開いたします。 以下からご覧ください。ぜひチャンネル登録をお願いします。
https://www.youtube.com/user/FoEJapan/videos
DVDをご希望の方は、1600円にて頒布いたします。(送料200円)
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