チェルノブイリ原発事故から30年。私たちが学ぶもの。

福島支援と脱原発2024.7.17

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1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故から今日で丁度30年。FoE Japanは、東京で講演会を行いました。(NHKにも報道されました

講演会にはチェルノブイリ被害調査・救援女性ネットワークの吉田由布子さん、小児科医でチェルノブイリ子ども基金顧問の黒部信一さん、そして写真家で、311甲状腺がん家族の会副代表世話人の飛田晋秀さんにお越し頂き、 被害解明と救済の道筋を見つめるというテーマで、お話を頂きました。

(資料は後日ウェブサイトに掲載予定です)

吉田さんからは、チェルノブイリ事故後甲状腺がん等その他の病気が多発していても、事故との関係性は認められず、10年たってようやく甲状腺がんは認められた経緯等をお話しされました。また、現在においても甲状腺がんに注目されがちですが、その他の癌以外の疾病の増加なども調べるべきという指摘もありました。

黒部さんは長年「チェルノブイリ子ども基金」のメンバーとして、チェルノブイリ事故の被害を受けた地域の人々への支援を続けてきました。黒部さんは保養(低線量の地域ですごすこと)の大切さや、子どもたちに希望を与えることの大事さを語られ、また、社会科学的にみて貧困層などが綺麗な食べ物や土地にアクセスする事が出来ず、癌などの疾病が多いのだということを指摘されました。

写真家の飛田さんは、福島の現状を見て復興だなんてとんでもない、まだ何も始まってすらいないと悲しい怒りがこみ上げて来たと話します。また、甲状腺がんを患った家族がいる家庭では、癌の話がとてもしにくく、社会から孤立している現状に手を差し伸ばすために、甲状腺がん家族の会を立ち上げられました。

また、私深草からも昨年行ったベラルーシ視察の報告を簡単に行いました。

先日のJapan Timesの記事によると、ベラルーシの牛乳からベラルーシの基準値の10倍の放射能汚染が検出されたそうです。30年経った今でも、事故後の汚染が続いています。

ベラルーシは元々自然が豊かで、多くの人がダーチャとよばれる家庭菜園で採れる食べ物を食卓に並べています。キノコやベリーは人々が好んで食べる食品の一種。そういった物に放射能はたまりやすく、ベラルーシの方の内部被曝が心配されます。

一方、ベラルーシのルカシェンコ大統領は先日のUNDP(国連開発計画)の高官とのインタビューで「30年前には土地を一生失ってしまったと感じていたが、今はそうではない」と答え、復興を強調しています。

実際にはどうかというと、私たちが昨年ベラルーシを訪れて見聞きした状態とはかなり違うと思います。病気の多発が報告され、貧しい人々がより癌やその他の健康リスクにさらされているという現状があります。

ベラルーシの政治は、独裁的で、市民の活動が大幅に制限されているという実情があります。
私が昨年ベラルーシで出会った学生も、「ベラルーシで原発建設が進んでおり、反対しているが、デモ等をしたら学校に行けなくなる。就職できなくなる」と話していました。

イベントのアンケートでは、ベラルーシの状況が今の日本の状況と重なるという声も沢山聞かれました。

福島第一原発事故から、5年。早くも自主避難者への支援などは打ち切られようとしています。
様々な問題が山積しているにもかかわらず、人々の関心も時が立つにつれ、薄れていっています。

だからこそ、声を上げ続けていく必要がある、様々な形で事故の事を伝えていく必要があると感じています。(スタッフ 深草)

参考
Despite Chernobyl, Belarus goes nuclear

 

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