311シンポジウム 福島を忘れない(その②)
こんにちは、スタッフの深草です。前回につづき、3月11日のシンポジウムのレポートをお届けします。
第二部はチェルノブイリがテーマでした。1986年に起きたチェルノブイリ原発事故。当時旧ソ連、現在はウクライナに位置するチェルノブイリでおきた事故で周辺のみならずヨーロッパの国々が広く汚染されました。
2部の最初に、チェルノブイリ子ども基金の佐々木真理さんから発表がありました。
チェルノブイリ子ども基金は、フォトジャーナリストの広河隆一氏がチェルノブイリ取材の中で病気の子どもをもつ母親たちの呼びかけを受け募金活動を始めたのがきっかけで、1991年4月に設立されました。
佐々木さんからは、被災地の子どもたちは現在も甲状腺ガン・白血病・脳腫瘍などの病気にくるしんでいることや、実際にチェルノブイリ子ども基金がおこなっている支援の様子や現状を語っていただきました。
吉田由布子さんからは、チェルノブイリ事故後できた「チェルノブイリ法」について紹介があり、日本との状況の比較等についても話されました。チェルノブイリ法には汚染地や被災者の定義が含まれています。土壌の汚染の度合いや、その人の立場(原発労働者なのか汚染地域出身の人なのか)により支援なども決められていました。日本は、内閣府原子力被災者支援チームがチェルノブイリ事故後の旧ソ連3カ国のさまざまな対策を調べ、参考にすべき点をあげていたそうです。ですが、それらは日本の政策に生かされていません。吉田さんからは、チェルノブイリ法において国の責任として規定されている「原発事故後の市民の社会
的保護」の考え方に学び、福島原発事故により様々なリスクの増加を被っている市民(住民及び労働者)への国・東電の責任や施策について、再び問い直す時期に来ているのではないでしょうか、と提起がありました。
私、深草からは昨年訪れたベラルーシで見た事、感じた事を報告しました。
チェルノブイリ原発は、現在のウクライナ領の中にあるので、ウクライナが注目されがちですが、事故当時放出された放射性物質の約7割が現在のベラルーシ側に降り注いだと言われています。
ベラルーシでは、同じ大統領が独立当時から5期連続で地位に居座っている事、言論の自由が限られているなど、そういった政治的な状況から市民活動が抑圧されている現実を目にしました。
ですが、その中でも子どもたちを守ろうとする大人の活動や、若い世代がチェルノブイリの事や再生可能エネルギーの事等を学び未来を作っていこうとする姿にもふれました。
ベラルーシ視察の詳細な内容はブックレットにまとめています→「ベラルーシ報告書 みらいへのかけはし」
最後にFoEドイツ(BUND)の代表である、フーベルト・ヴァイガー氏からドイツがどのように脱原発を達成したのか、チェルノブイリ原発事故がドイツに与えた影響などの報告があり、また脱原発にむけて国際連携の大切さについて触れていました。
次に続く。