モーリシャス重油流出事故にみる国際的な賠償制度の欠陥 ――事故を二度と繰り返さないために
>PDFをダウンロード
モーリシャス沖合で日本の大型貨物船「WAKASHIO」が2020年7月25日に座礁してからひと月余りが過ぎた。座礁から8月6日に燃料油が流出し始めるまでの13日間、なぜここまでの被害を食い止めることができなかったのだろうか。その全貌はいまだ不明であり、徹底かつ独立した事故の検証が待たれる。
そして今、新たな疑問が加わった。二つに分断された船体の前方部分が、「モーリシャス政府からの指示」で8月24日に海洋に投棄されたという。なぜ船体の海洋投棄という方法を選んだのか。報道によると、15キロ沖合まで曳航して沈めたというが、それであれば解体が可能な場所まで曳航することもできたのではないか。廃棄物の海洋投棄を禁止するロンドンダンピング条約への違反も指摘されている[1]。
島では、環境中に拡散された油を回収するために、多くの住民が命がけの作業を続けている。彼らはこのような選択を望んだだろうか。事故を発生させた船舶の関係者と事故対応にあたる当局は、流出油の除去や環境回復の過程で、住民、漁業者、観光業者、NPOなどの声を十分に反映した判断をする必要がある。そうしなければ、後々まで禍根を残すことになる。
私はかつてFoE Japanのスタッフとして、「ロシア・サハリン2石油天然ガス開発」による環境・社会問題に取り組んだが、開発の大きな懸念のひとつが、油流出事故リスクの増大であった。サハリン2の通年生産が始まった2008年以降、石油タンカーは4日に1度、LNGタンカーは2日に1度、年間約240隻の大型船が新たにオホーツク海を南下し、北海道周辺を通過し、日本海や太平洋へ向けて航行することとなった。幸い、大規模事故は起きていないものの、今もそこにリスクはある。
油流出事故が発生した際、環境保全の観点から迅速に保護すべき沿岸域を判別するための「環境脆弱性指標図(ESIマップ)」というものがある[2]。今回、油が漂着したモーリシャスの沿岸は、珊瑚礁やマングローブ林のある湿地が広がり、ESIマップの脆弱度が最高ランクに位置づけられる場所だ。このような場所では、汚染の影響が長期に渡り、回収方法にも細かな配慮が必要となる。そして、長期にわたる環境回復への取り組みが必要となる。事故を起こした当事者はその責任を負わなければならない。
タンカーでなく、「貨物船」であることが意味すること
今回流出事故を起こした「WAKASHIO」は、主に鉄鉱石を輸送する「ばら積み貨物船」だが、貨物船のような一般船舶と、石油等を運ぶタンカーとでは、損害賠償に関する国際条約の枠組みが異なる。仮に、タンカーが油濁事故を起こし、その賠償額が船主等の責任限度額の上限を超えた場合、追加的に被害者に補償を行う国際的な基金がある(FC条約、SF議定書)。しかし、貨物船などの一般船舶の場合、そのような補償基金はない[3]。
「WAKASHIO」(貨物船)の事故に適用されるバンカー条約では、船舶所有者は無過失責任を負うが、やはり責任には一定限度の制限が認められている(LLMC条約)。モーリシャスは、責任限度額を約70億円に引き上げたLLMC条約1996年議定書を批准していないので、古い限度額の約20億円が適用されるようだ[4]。このいずれであっても、今回の被害に対してあまりに不十分な額である。(船主の故意・過失による場合、責任制限は認められないようだが、今後の情報を待ちたい)。
早急にタンカーと同様の規制と補償基金の整備が必要
上記のように、タンカーと、貨物船のような一般船舶における損害賠償制度には大きな「格差」が存在するが[5]、「WAKASHIO」は、総トン数10万トンを超える大型船舶である。驚くことに、一般船舶だからという理由で、被害者への補完的な基金はないにもかかわらず、10万トンクラスの巨大な船舶が航行しているのだ。WAKASHIOから流出した千トン余りという量は、過去の大規模事故と比較すれば最大級とは言えないかもしれないが、今、モーリシャスの事例で目の当たりしているように、油流出事故は発生する場所によっては、取りかえしのつかない惨事を自然環境や地域社会にもたらす。この事故を機に、早急に、貨物船などの一般船舶に対し、タンカーと同様の規制や国際的な補償条約の制定を進める必要がある。
責任主体の複雑さからくる「責任逃れ」は許されない
この間のメディアの報道で気になっていることに、責任主体の問題がある。もっぱら「賠償責任は船主の長鋪汽船にあり、(運航者である)商船三井にはない」とする記事が多くみられるが、そんなに単純な話ではないはずだ。バンカー条約も、船舶所有者を「船舶の所有者(登録所有者を含む)、管理人及び運航者並びに裸傭船者」と定義しており、長鋪汽船、商船三井ともに責任主体である。
船舶の世界は複雑で、今回のケースでは船主と運航者は異なるが、「船舶所有者」として一体となって海運業を営んでいる。その先には、鉄鉱石などを売る荷主がいる。これら複数の企業の経済活動の一環として、「WAKASHIO」は航行していた。船舶所有者がさらに複数となるケースもあり、「登録所有者」が賠償義務を負う理由のひとつには、被害者救済の観点から賠償請求の相手を明確にすることがあげられている。つまり、運航者などその他の船舶所有者が免責されているわけではない。この点、エクソン・バルディーズ号の油流出事故の反省の下に米国で制定された油濁法(OPA90)では、明確に責任当事者を「船舶を所有、運航、借用しているもの」として、連帯責任を負わせている。
さらに、荷主も賠償責任を負うべきという考えから、前述のタンカー事故の補償基金は荷主によって拠出されている。船やその運航の質を高めるためには、当然、一般船舶の荷主もその責任を負うべきである。登録所有者のみに「上限つきの責任」を負わせればよいという考えでは、事故を防ぐことは決してできない。
日本が国として果たすべき役割
日本の船の経済活動が起こした環境汚染を目の当たりにし、忸怩たる思いにかられる人は多いだろう。その一方で、日本の国としての動きは後手後手である。安倍首相が今回のモーリシャスでの重油流出事故に対し、「関係省庁で連携して支援するよう指示した」と報じられたのは8月26日だ。これまでに派遣された人員や届けられた油防除資機材などの物資も十分には程遠い。「民間企業の話」として高をくくっているのであれば[6]、海洋国家の名折れである。
船の世界には「便宜置籍船」という悪法としか言いようのない制度があり、「WAKASHIO」もご多分にもれず、船主の国は日本でありながら、法律や税制面で「優遇」されるパナマに船籍を置いていた。結局は、安価が求められ、規制が緩められ、安全性が二の次になるシステムがある。日本に船籍を置く船であれば、日本政府には、船舶の安全性を審査し、違反を取り締まる権限と責任が生じていた。また、日本籍の船であれば、船長、機関長などの資格の必要な船員は日本人でなければならなかった。事故調査にあたっては、これらの点がどのように影響したのかの検証も徹底的になされるべきである。
世界の海運会社、海洋国家としての矜持を保つ
海に囲まれる日本は、船舶事故の被害を受ける国でもあり、これまでにも国際海事機関(IMO)の理事国として、「主要海運・造船国としての知見を活かして、各種条約を始めとしたルール策定の審議」に貢献してきた経緯がある[7]。今回の事故を受け、日本政府は、悪法の上にあぐらをかくのではなく、まずモーリシャスでの油回収・環境回復に全面的にかかわり、十全な賠償を見届けたうえで、今後の船舶における国際的な条約や枠組みの改善に向けた役割を担う必要がある。そして、これまでも大規模な事故が起こるたびに責任範囲の拡大や賠償上限額の引き上げ、基金の設立などがなされてきたが、もはやそれだけでは十分ではない。あらためて、化石燃料に依存する暮らしの見直しを私たち一人ひとりが成し遂げていかなければならない。それが、青い海にかがやくサンゴ礁や湿地帯、マングローブ林をすみかとする生物たち、そこに生業をたてて暮らす人々に対するつぐないではないか。
(高木仁三郎市民科学基金 アジア担当プログラムオフィサー 村上正子)
参考図書:
- 海洋工学研究所出版部編(1998)「重油汚染・明日のために — 「ナホトカ」は日本を変えられるか」
- 除本理史(2007)「環境被害の責任と費用負担」
[1] グリーンピース・アフリカとジャパンが連名で、同条約違反を指摘するレターを、曳航船の所有国であるマルタ共和国や日本を含む関係国に8月24日に提出している。
https://www.greenpeace.org/japan/nature/press-release/2020/08/20/18048/
[2] ESIについて(海上保安庁)https://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/ceisnet/esi.htm
ESIマップとは(環境省)http://www.env.go.jp/water/esi/esi_title.html
[3]上谷田 卓「海洋汚染損害に対する責任及び補償等に係る国際ルール ―バンカー条約及び難破物除去ナイロビ条約の概要―」立法と調査 2019. 4 No. 411
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2019pdf/20190415041.pdf
[4] ロイター「情報BOX:モーリシャス沖座礁事故、日本船の賠償が焦点に」2020年8月14日
https://jp.reuters.com/article/mauritius-environment-idJPKCN25A0AK
[5] タンカーによる油濁事故を対象とする国際条約(CLC条約、FC条約)は、貨物として積載される油のみならず、今回のような燃料油による汚染にも適用される。
[6] 日本経済新聞「モーリシャス沖重油回収、日本は後手『民間事故』で消極姿勢 仏が全面支援で存在感」 2020年8月27日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63136020X20C20A8EA1000/
[7] 外務省「国際海事機関の概要」