「銃とブルドーザー」に抗う人びととともに−波多江秀枝インタビュー

開発と人権2024.7.24

ニュースレターやブログなどを通じFoEの活動は見えてきても、スタッフの姿は見えないことが多いと思います。どんな人がFoE Japanで働いているのでしょうか?なぜFOEに?
インターンスタッフに3名の職員をインタビューをしてもらいました。

第一弾は「開発と環境チーム」の波多江秀枝です。IMG_20160401_100252

FoE Japan では何をされていますか?

日本の政府機関や企業が携わっている海外での大規模開発事業に関する問題を提起しつつ、その影響を受けている地元の住民の人やNGOと共に問題に取り組んでいます。ここ最近は、インドネシア等における石炭火力発電所開発問題に注力して活動しています。

FoE Japan に入ったきっかけはなんですか?
元々開発や環境問題には関心があり、大学では環境に関するゼミに入っていました。授業や文献等を通して、開発事業の光の部分だけではなく陰の部分についても知る機会があったのですが、その「陰」の部分が自分の中で引っ掛かっていました。大学3年生になり就職活動の時期が迫ってきた際に、開発事業によって被害を受けている人がいるかもしれないのに、その加害者側に加担する立場にはなりたくないと感じ、問題解決を図っている団体を探していく中で FoE Japan にたどり着きました。大学3年生の終わり頃からボランティアで関わり、インターンを経て、スタッフになりました。

入ってから今日まで続ける上でのモチベーションは何ですか?
現地の人の笑顔や逞しく生きている姿だと思います。例えば、農民の人たちが農作業をしているのを見ていても、それが好きで大切なんだなというのが伝わってくる。だからこそ、そういう彼らの生活が、理不尽なものによって破壊されるのを何とかしたいと感じます。しかし、私の心の奥底にあるのは、2002年にダムの問題に取り組んでいた時に、20歳の青年がゲリラに入った後、フィリピン軍との交戦で殺されてしまったという出来事です。彼がゲリラに入った理由は、ダム建設に伴う立ち退きの現場で、事業者と共に来た軍に親戚・友人が銃を突きつけられ、立ち向かいたいのに銃の前には何も出来なかった悔しさでした。この出来事があったからこそ、私は今でも活動し続けています。

もどかしさや困難に直面した時に、どのように折り合いをつけていらっしゃいますか?
「やるんだったら、とことんやりたい。」 ––日本の開発側の人たちとの認識の差が埋まらない等、もどかしいと思うこともあります。しかし、私は自分が実際に被害を受けているわけではないので手を引こうと思えば引けるけれど、住民の人たちは逃げることが出来ません。彼等は弾圧されるリスクがあり、暗殺されてしまう場合もあります。そういう立場に置かれた住民のことを考えた時に、「こんなところで挫けられるか!」と思います。

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フィリピンのダム反対運動の最中に暗殺された農民リーダーの奥さん(写 真左)とともに。ここの家は波多江にとって、フィリピンの実家のようなところ。

FoEでボランティアやインターンをしたい方へのメッセージ
FoE Japan は、自分がやりたいことが十二分に出来る場所だと思います。是非一緒に活動しましょう!

最後に、FoE Japan は一言で言うとどのような場所ですか?
「現場力」–– 程度は異なるけれど現場に行って、現場を見て、現場のニーズや声に基づいて提言活動をやるのが FoE Japan。それが強みだと思いますし、それがなければFoE Japan ではない気がします。

(聞き手:インターン 杉浦佳蕗)

 

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