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サンロケダム
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「フィリピン・サンロケダムに反対してきた住民リーダーが地元で殺害」 (2006.06.02)
サンロケダムに反対してきた住民リーダーが地元で殺害
 日本企業が国際協力銀行(JBIC)の融資約7億ドルでフィリピンに建設したアジア最大級のダム「サンロケ多目的ダム」。これまで地元住民の先頭に立ち、その事業が農民・砂金採取者にもたらした甚大な被害を訴え、生活状況の改善のため問題に取り組み続けてきたTIMMAWA(アグノ川の自由な流れを取り戻す農民運動)代表「アポ」ことホセ・ドトン氏(62歳)が、5月16日(火)朝10時半過ぎ、帰宅途中に何者かに殺害されるという非常に許しがたい事件が地元で起こりました。

 現グロリア・マカパガル・アロヨ大統領が就任した2001年から今日まで、フィリ ピンでは、合法的な活動を行なっている住民運動のリーダーやメンバー、また、 ジャーナリストや教会関係者が脅迫される、嫌がらせを受ける、あるいは、殺害 されるといった報告が後を絶たず、その被害者・犠牲者の数は増える一方です。 こうした事態を受け、この5月30日、国際的な人権団体アムネスティ・インター ナショナルもアロヨ大統領にこうした事態の解決を求めたばかりです。

 今回のドトン氏の殺害も、こうしたフィリピンの社会・政治状況の中で起きたと 見られています。

 サンロケ多目的ダム、また、現在、フィリピン政府が交渉中の円借款供与プ ロジェクトのうち筆頭にあげられている「アグノ川統合灌漑事業(サンロケ 多目的ダム・灌漑部門)」などのフィリピン国家事業への反対・不満など も含め、こうしたアロヨ政権を批判する人々の声を抹消・抑圧しようとする フィリピン政府の今のやり方は、あまりにもひどく残酷であり、日本の市民 としても、また、国際的にも、もっと非難していかなくてはならない問題です。

 ホセ・ドトン氏は、2001年にTIMMAWAが設立されて以来、同住民団体の代表 を務めてきました。サンロケダム建設の反対を訴え、ダムが建設されてから も、同事業によって悪化している彼らの生活状況の改善のため、彼の強いリー ダーシップの下、TIMMAWAは抗議行動、あるいは、事業者との度重なる交渉 を行なってきました。その成果の一つとして、今年1月に、砂金採取者への 生計支援プログラムの提供が始まったばかりでした。しかし、そのプログラ ムはまだ全員に提供されたわけではなく、今後も事業者との難しく、長い交 渉の道のりが待っています。

 また、今年に入ってからは、現在、日本政府がフィリピン政府への円借款供与を 検討している「サンロケダム事業灌漑部門(アグノ川統合灌漑事業)」の小 農民への影響を懸念し、日本政府に対し、融資決定を慎重に行なうよう求め る要請書をFoE Japanとともに提出していました。

 →要請書の全文はこちらをご覧ください。

 亡くなる前日(5月15日)も、ドトン氏は、同要請書への国際協力銀行(JBIC) からの返答(4月)に対し、

「サン・ニコラス町の95%の農民が土地権利書を持っておらず、補償手続きを進 めることができない状況にある。農地の収用に関する自分たちの懸念をJBICはしっかりと見るべき。」

「自分たちは、誰の農地が収用されるのかを懸念している。その問題が解決され るまで、JBICは融資の拠出を決定すべきではない。今のプロセスでは、融資の決 定後にしか農地収用の被影響者を特定できないが、それはおかしい。」

「サンロケダム本体工事のときには、JBICは、地方自治体や村長、知事といった レベルでの合意を見ていたが、灌漑部門では、もっとグラス・ルーツレベルでの FPIC(情報を提供された上での自由な、事前の協議)が確保されるべき。」

などと、話をされていました。

 こうした問題への取り組みの道半ばでの死は、彼にとっても大変無念だった ことと思います。彼はどんなに疲れていても、農業の仕事、そして、住民組 織の仕事を放り出すことはありませんでした。私たちは、彼の真剣な、そし て、その粘り強い取り組みにいつも励まされ、いつも頭の下がる思いでした。 その彼の努力を無駄にしないよう、私たちは、彼と一緒にやってきたこと、 彼と一緒にやることになっていたことを、しっかりと続け、今後とも、こうした フィリピンにおける深刻な人権侵害の状況、また、サンロケダムの問題状況の改 善を日本政府に強く訴えていきます。

 パンガシナン州の農民運動を引っ張ってきた皆の父アポ・ホセ、また、サン ・ニコラス町で誰もが信頼をし相談を持ちかけていた父アポ・ホセ、そして、 サンロケダム反対運動の父であったアポ・ホセの心からのご冥福を祈りたい と思います。
   農作業をするアポ・ホセ
 <農作業をするアポ・ホセ>
パンガシナン州サン・ニコラス町カマンガアン村の田んぼ。アポ・ホセは、この彼の田んぼのすぐ横を通るアノン・ロードで殺害された。(2005年7月 FoE Japan撮影)


日本大使館前の抗議集会で話すアポ・ホセ
 <サンロケダムの抗議集会で話すアポ・ホセ>
地元パンガシナン州から約400人が参加したマニラの日本大使館前での抗議集会。ダムの貯水中止と適切な補償を求めた。(2002年9月 FoE Japan撮影)


住民グループ
 <アポ・ホセの殺害現場>
パンガシナン州サン・ニコラス町カマンガアン村のアノン・ロードに、彼の死を悼む人々が訪れ、花などが供えられた(2006年5月 FoE Japan撮影)


チェックを受ける住民
 <アポ・ホセの葬儀に参列した人々>
約200人が参列し、彼の家から教会まで霊柩車とともに歩いた。先頭には「アポ・ホセに正義を!」と書かれた横断幕が掲げられた。(2006年5月 FoE Japan撮影)
>地元の各団体が出した声明文など(翻訳)

 農民グループ(TIMMAWA:アグノ川の自由な流れを取り戻す住民運動)
  声明文 (2006.05.25)

 https://FoEJapan.org/aid/jbic02/sr/statement/20060525j.html

 先住民族グループ(CPA:コルディリェラ民衆連合)
  声明文  (2006.05.18)

 https://FoEJapan.org/aid/jbic02/sr/statement/20060518j.html

 コルディリェラ人権連合の殺害事件に関するファクトシート (2006.05.18)
 https://FoEJapan.org/aid/jbic02/sr/statement/20060518jfact.html
(c) 2002 FoE Japan.  All RIghts Reserved.

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