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2002年3月 スタディツアー報告 ―3月19日
ダルピリップ村 (Written by Tさん、19歳)


 この日はジプニーによっての移動だった。行く前に、しっかりと水を買い込みバギオを後にした。

 街を離れると、山道に入る。道は狭く、舗装もされていない。土埃も激しい。みんなタオルで目や口を覆っていた。ジプニーという乗り物は、日本の乗用車のように窓や扉で密閉されたつくりになっていないので、外の砂埃などが入ってくる。ヴァージー(現地で案内をしてくれたNGOのスタッフ)が途中、ジプニーの屋根に上っていた。折を見つけ、石瀬君も上った。ほかにも何人かがそれに続いた。上から見る景色はすばらしかった。山の傾斜にある道を延々とジプニーで上り、下りしていく。名前も知らない自然の中で風と太陽、そして広大な山々を肌で感じることができた。ダルピリップ村に着く前に、鉱山に立ち寄った。大掛かりな器械、ものすごい騒音、そして人。その人たちはわずかなお金のために、一日中作業している。正直、僕は強い抵抗を覚えた。日本のどこにでもある宝石店に並んでいる、何気ない貴金属。それは、こういう人たちが採掘した金から作られているのだろうか。

 長い移動の後、ダルピリップ村の入り口についた。ダルピリップ村の中心に行くためには、少し徒歩で移動しなくてはいけなかった。しかし、村までの道のりは自然に囲まれた、すばらしいものだった。村までの舗装された小道(人がすれ違うことができるのに十分なぐらいの幅)の横には綺麗な水が流れていた。日本のどぶと同じようなものかもしれないが、美しさが違う。

 村について、荷物をAunt Louisaの家に下ろした後、少し休憩をした。ちょうど、村祭りがあったので、みんなそれに参加させてもらった。この時点で、各々自由行動。カメラマンのKさんや、TVディレクターのIさん等は、いいショットを求めて村を歩き回っていたみたいだ。村祭りは、おいしい料理もあり、バスケの試合もあり、なかなか楽しかった。村祭りで、面白いことがあった。そこにベンゲット州の副知事が来て、サンロケダムはすでにほぼ完成しているのだから、そのなかでどうマイナスの影響を減らしていくかを考えるべきだ、ということをツアーのメンバーに力説していたらしい。ツアーのメンバーは、そこで熱く議論していた。そのとき僕は村のジョブリンという女の子と仲良くなって、現地についての話を聞かせてもらっていた。そして、学校も見たいかと聞かれ、ほかのツアーのメンバーも何人か誘い、学校のツアーをしてもらった。Mさん、Kさん、そしてMさんと一緒に、ジョブリンに学校を案内してもらった。学校は政府からの資金援助もほとんどないらしく、施設は簡素なものだった。しかし、生徒たちが作った待合場所や、みんなで管理しているちょっとした農園などはとても素朴な感じがした。また、学校の裏にある川にも連れて行ってもらった。そこでは幼い子供から中学生ぐらいの男の子まで泳いでいた。女の子たちも泳ぐらしい。しかし、ダムが完成してしまうと、その影響で泳ぐことができなくなるといっていた。水質汚濁と、雨季に水嵩が増すからだったと思う。

 村をあちこち歩き回って、少し落ち着いた後、4時ぐらいから村人とツアーのメンバーとでミーティングをやった。村の現状と、どのような行動をしているかということを聞くことが主なテーマだったように記憶している。ただ、ミーティングがイロカノ語、英語、日本語と三ヶ国語を使って行われたので、なかなか意思の疎通が難しかった。面白かったのは、地元の自治体であるイトゴン(この辺りの地方自治体)の評議会のメンバーが飛び入り参加をしたのだが、ひどく酔っ払っていた。話は長かったが、結局何を言いたいのかよくわからなかった。そして、田中さんがついにフィリピンの現状を見事にえぐる質問をした。「フィリピンの男の人は何をしているの?」…確かに、ミーティングで話しているのも女の人だし、料理などをして歓迎してくれるのも女の人。村の男たちはといえば、村祭りで酒を飲み、酔っ払っていた…しかしミーティングで、村の現状などを詳しく聞かせてもらい、すごく勉強になった。フィリピンで、国民が政府に対して抱いている生の考えを聞くことができた。

 おいしい晩御飯をいただいた後に、村の中心でコンサートがあった。そこでは村の若い男の人たちが楽器を弾き鳴らしていた。演奏を背後に聴きながら、みんな村の人たちと話していた。そのうち、せっかく日本からのゲストがいるのだから、一曲お願いしますということになった。みんな唖然としたが、何か歌うべきだろうということになった。個人的には、日本の曲を知らないのでそれを理由に断りたかったのだが、僕でさえ知っている「翼を下さい」を選曲したので、歌わないわけにはいけなかった。波多江さんは実はドラマーだったということがこの時点で発覚(うまかったです)。現地の人たちは非常にノリがよく、即興で歌った日本の歌にも拍手喝さいを惜しまなかった。あまりに受けがよく、結局3回も歌ってしまった。

 夜はいろんな村人たちの家に分散して宿泊する予定だったが、男たちが酔っ払って危険ということで、同じ家でみんな寝ることになった。しかし、コンサートから家に帰る前に田んぼによったのがとても印象的だった。星空を見上げながら帰っていたら、気がついたらみんなで田んぼのほうへ足が向かっていた。そして、田んぼを突っ切る小道にみんなで横になり、果てしなく澄んでいる空を見つめていた。


3月18日 > 3月19日 > 3月20日
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