現地NGO(コルディレラ農民事務局)によるレポート(2001.07.28)
7月上旬にルソン島を襲った豪雨でサンロケダム建設現場の下流では旧式小型の灌漑用ダムが決壊しましたが、 ダムの建設によりこれに代わる水源がすでに絶たれてしまっていたため、農業で生計を立てていた人々は砂金採取で生計を立てるよりほか道はありません。しかし、その重要な現金収入の手段である川での砂金採 取もダム事業者によって禁止されました。 このため、ダム建設による移住にともなう生活補償が十分に行われていない地元住民とダムによって利益どころが不利益をこうむっている地元住民は、このような状況が改善されるまでダム建設工事は中止されるべきだとの抗議の声をあげてい ます。 サンロケダムの上流にあるダムが決壊を避けるため豪雨の際に放水ゲートを開放し、その結果起こった鉄砲水によっ て下流の洪水被害が拡大していることもダムへの批判が大きくなっている原因の ひとつです。 以下、地元グループによる抗議行動についてのレポートです。 ==================================== TIMMAWA(アグノ川の自由な流れを取り戻す農民運動) 2001年7月28日
自分たちの生活崩壊に直面し、アグノ川の自由な流れを取り戻す農民運動TIMMAWAのメンバー150人がサンロケダム建設の継続に反対し、7月27日(金)の午前9時から正午までサンロケで抗議デモに打って出た。これに対して、サンロケパワー社(SRPC)の社員は運動の沈静化を図るため、TIMMAWAの代表団をダム建設サイト構内に招き入れ、話し合いの席を設けた。しかし、2時間におよぶ対話もあまり実のある結果を生み出すにはいたらなかった。というのも、TIMMAWAが出した3つの要求のうち2つに関しては、SRPCの社員ではどうすることもできない、彼らの上司やフィリピン電力公社のみが責任を負っている問題であり、その責任者はだれも今回の協議の場にいなかったからだ。
TIMAWWAの代表は、NPCとSRPCが7月18日にサンロケダムの建設サイトやその周辺での砂金採取の禁止に踏み切ったことに懸念を示した。台風フェリアによりサン・マニュエル町の農地は大きな被害を受けたため、同町の1,000世帯の農家は事実上、唯一残された生計手段をその禁止令によって奪われてしまった形になったのだ。
台風がもたらした豪雨は7月4日にフィリピンを直撃したが、その豪雨によりNPCはベンゲット州ボコドゥ町にあるアンブクラオダムとイトゴン町にあるビンガダムというアグノ川上流に位置する2つの水力発電ダムの放水ゲートを開門せざるをえなかった。この結果、広範囲におよぶ下流域を鉄砲水が呑み込んだのである。
サン・マニュエル町や近隣のAsinganの水田約4,500ヘクタールに水を供給しているといわれる稼動年数20年の旧式小型灌漑用ダムは、押し寄せた鉄砲水によって破壊されてしまった。サンロケ水力発電ダムの建設を始めた結果、同地域の他の水源が破壊されてしまったため、農家約3,650世帯は、今回破壊されてしまったダムからの灌漑用水にすべてを依存しきってきた。したがって、この灌漑用ダムの喪失は、彼らにとってもはや稲作ができなくなったことを意味しているのだ。
鉄砲水は、灌漑用ダムを破壊したばかりではなく、サン・マニュエル町やその周辺の水田も荒廃させた。なかには、収穫期に入った頭を垂れた稲穂がまだ収穫されずに残っていた農地もあった。また、田植え期を迎えて植えられたばかりの若い稲も他の場所へ移植される前に被害にあってしまった。
彼らの作物と唯一の灌漑用水を失い、同地域の農夫らに残された生きる道は、砂金採りだけとなった。幸運にも、台風フェリアは隠された恵みももたらしていたのだ。それは、増水したアグノ川の支流から下流へ運ばれてきたイトゴンの山々の豊富な砂金である。台風の通過後からNPC、SRPCが禁止令を出すまでは、1人1日最低約1,740ペソの砂金を採取できたのだ。
今回のSRPCとの協議のなかで、TIMMAWAの代表者らは禁止令の解除と灌漑用ダムの修復を要求した。
これに対して、SRPCの社員は砂金採取の禁止を解除してくれという要望に関しては、「自分たちには手の施しようがない。」と返答した。その協議の参加者のなかに、禁止令の執行部署であるSRPC採掘部門の顧問弁護士アドニス・シリアス氏がいたにもかかわらずである。シリアス氏は、同禁止令の論理的根拠として「安全思考」という考えを提示した。彼は、「砂金採取者らは禁止令を無視することはできる。だが、そうした場合、SRPCは彼らの安全を保障することも、また、万が一事故が起こった場合に、建設請負業者のレイセオンに賠償金を支払うよう命じることもできないだろう。」と述べた。
SRPCは初め、自分たちとNPC側の責任を否定していたが、灌漑用ダムの修復についてはこの先2週間から3週間のあいだにSRPC側が対処することを約束した。
TIMMAWAの代表はサンロケダムの事業者らがこれまでに破ってきた約束を書き連ねた長いリストを提示した。ダム建設の代償として奪われたサン・マニュエル町やサン・ニコラス町近隣の人々の資産や生活に対しては補償が支払われることになっているが、その大部分は依然として未払いのものが多く、そのリストの中にも補償の項目が設けられている。
TIMMAWA支部のIIBA(Itogon Inter-Barangay Alliance)スポークスマン、シンプリシオ・シキュアン氏は、ダム建設の影響を受けるすべての人々に当然支払われるべき補償が完全に支払われるまで、ダム建設を一時中止するべきだと語っている。協議の場でシキュアン氏は、「一旦ダムが完成してしまえば、我々がフィリピン電力公社に支払いを強要する機会はもうないだろう。ビンガダムの建設時にイトゴン町で起こったことがまた起こってしまう。」とSRPCに対して主張した。
シキュアン氏はまた、アンブクラオダムの建設に際して、NPCが「最初から沈むとされた土地の住民だけに補償を支払った」ことを指摘した。そして、「アンブクラオダムの場合には、時間の経過とともに激しい堆積が起こり、水没地域が当初の3倍にまで広がった。この影響を受けた人々が水没した資産に対する補償をNPCに求めた時、NPC側の返答は、『堆積の責任はNPCにはない。その堆積は単にダム周辺の土壌が時間の経過とともに堆積していった自然の成り行き上のものにすぎない。土は時間が経つと、砕けて浸食され、川にたまっていくのである。』というものだった。これに対して影響を受けた人々は、ダムが建設されなかったならば、川に土砂が堆積することもなかっただろうと反論した。しかし、NPCは彼らの訴えを無視したのだった。」と当時の状況について語った。
シキュアン氏がサンロケダム建設の一時中止を繰り返し訴えると、SRPCの社員は「我々の上司と政府のみが対処できる問題だ。」としか答えなかった。 →→この件に関する現地の新聞記事(08.01.2001)をみる
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