☆第2回 ワークショップ実施報告☆
〜都会をちょっと離れて自給自足のライフスタイル〜
2004年10月30日(土)開催
台風直撃を避け、日を改めての第2回ワークショップ、当日は総勢18名が小川町駅に集合。参加者は「農業」「まちづくり」「持続可能な社会」といったキーワードにそれぞれの思いを抱く学生、社会人、ご夫婦など様々です。
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太陽光発電のポンプ付き井戸
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今回の会場は、都会生活から一転、小川町で有機農業を始めて12年目になる岩崎民江さん、充利さんご夫妻のお宅。
まずは簡単に参加者の自己紹介をしてから、ご夫妻の「タミ−ズファーム」を見学しました。太陽光発電を利用した井戸、踏み込み温床(苗を育てるための箱)、簡易バイオガスプラントの跡地などが家のすぐ周りにあります。到るところに「近くの造園屋さんの木屑」「○○さんからもらった牛ふん」など、地域とのつながりが活かされていることがわかります。
次に、畑で小豆取り作業。今日のためにわざわざ収穫を待って頂いた小豆を、完熟しているものを選別して袋に詰めて行きます。小雨がぱらつき始めましたが、不慣れさは手の数でカバーして1時間ぐらいで終了。一仕事終えた満足感(?)を胸に、岩崎家に戻ってお昼ごはん。今回は鬼島シェフご自身の畑で取れる有機食材を使ったフランス家庭料理「ボン・レギュ−ム」のお弁当。おいしくてボリューム十分でした。
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小豆取り
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午後は岩崎民江さんに、小川町に移住するに到ったいきさつと現在抱いている思いをお話頂きました。
民江さんは小川町に移住される前は、東京の貿易会社で自他ともに認める「キャリア志向」の生活。ところが1990年代初頭に、熱狂的バブル、戦争、物質主義、環境破壊といった社会の「異常な」様相を目の当たりにし、それにご自身の健康問題が重なり、「何かおかしいんじゃないか」「このまま流れにのってはいけない」と感じ始めたとのこと。そんな時、健康作りで始めたハイキング中に見た農家の美しい光景と、農業の「里山を維持する機能」に感銘を受けたのがきっかけで農業に惹かれていったそうです。そこで小川町の田下農場で実習生として、週5日間、10ヶ月に渡って住み込みで農業を学んだ末に、1992年に夫の充利さんと「迷わず」移住を決意しました。
農業を始めたのが遅めだったこともあり、当初は体力的なきつさに苦労したそうです。最初は9畝(セ)(=270坪)のだった畑を徐々に広げ、現在は畑2反(=600坪)、水田1反(=300坪)をお2人で手がけています。栽培しているのは米、麦の他にキャベツ、ブロッコリー、モロヘイヤ、ナス、トマト、豆類、たまねぎなど、約50種類の野菜。自家消費分を除いたものは地元の消費者を中心に販売しています。田畑の管理を始めとして、土地の拡張や水路の補修から家の建設まで、仲間の協力を得ながら、「何でもお金をかけずに自分達の手で」の作業。また、充利さんは農業のかたわら映像関係のお仕事もしており、自分達に合ったペースでの自給自足の生活を続けています。
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収穫後の小豆は天日干し
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岩崎さんの野菜の消費者であり、同じく「新住民」ではあるものの違った立場でお話に加わって下さった高橋さんは、16年前に夫の転勤がきっかけで小川町の団地へ転居してきました。そして、その後マイホームを建てたことで小川町へ定住することとなりました。5年前に子育てが一段落してふと周りを見回した時に「小川町のことを全然知らない」ことに気づき、「どうせ住むなら楽しく住みたい」と考えるようになったそうです。以来、地域誌の発行、地域特産品の販売、地元NPO「ふうど」の運営など、精力的に飛び回っています。
「人間の自立した強さの大切さ」に対する高橋さんの思いは、そのまま地域の自立を助ける活動へと拡がっています。
お2人のお話には「仲間」という言葉が頻繁に登場します。各々の持つ個性を活かしながら、必要なところでは互いに協力しあう。あたり前のようですが、この柔軟な人間関係が小川町の地域としての活力につながっているとの印象を受けました。参加者からも「もっと小川町について知りたくなった」「私の地元でもこんな活動が出来たら良い」「改めて農業との関わりを見直したい」などの感想が聞かれました。
ワークショップ終了後、語り足りないビール好きは地ビール屋「麦雑穀工房マイクロブルワリー」へ立ち寄り、現地コーディネーターの阿部さんも交えてさらに議論、交流を深めました。秋雨の寒い日でしたが、協力頂いた皆さんの「温かさ」と参加者の「熱い思い」のおかげで、とても楽しい1日となりました。
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岩崎民江さんと高橋さんのお話 |
1)有機野菜レストラン ボン・レギュ−ム
https://www1.ocn.ne.jp/~blegumes/
2)高橋さんのお店 生活工房「つばさ・游」
https://tubasa-u.com
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