私達は、ロシア・サハリンで進行中、計画中の石油・天然ガス開発に大きな懸念を抱いております。サハリン石油・天然ガス開発は下記のような様々な環境・社会問題が解決されないままに進められています。サハリンの開発は、サハリン内でも問題を指摘する声が挙げられておりますが、地理的・環境的に密接な関係を持つ日本、特に北海道への影響もまた甚大であると考えられます。
- 流氷域の開発であるにもかかわらず、その特性について十分考慮されていない。
- 生産側の油流出時の緊急事計画が不十分である。また、事故が起きた場合、漂着が心配される日本側の油防除体制も不十分である。
- 油田開発の行われているオホーツク海、及びパイプライン建設が予定されているサハリンは、多様な野生生物の生息地、豊かな漁場であるにも関わらず、環境への必要かつ十分な配慮がなされていない。
- 北海道オホーツク海沿岸の漁業や環境、観光などへの配慮、情報公開、市民参加が皆無である。また、サハリン住民への情報公開、説明も不十分である。
- 日本のオホーツク海沿岸域は、砂浜、岩場、湿地、汽水湖など多様性に富み、生物と人間の重要な拠点となっているが、これらに対する調査・対策が十分でない。
日本は世界第2位の石油輸入国・消費国であり、サハリン開発に関しては出資国・受益国となっています。現在進行しているサハリンT(エクソン・サハリン石油ガス開発(SODECO)他出資)・U(シェル・三井物産・三菱商事出資)の両石油・天然ガス開発事業は、日本の政府金融機関である国際協力銀行(JBIC)により、サハリンTには1,100億円(2002年3月)、サハリンUには約140億円(1997年12月)の巨額の融資が行われています。更に開始準備段階にあるサハリンU第2期工事にもJBICが更なる融資を行うことが考えられます。また、日本が第2位の拠出国である欧州復興開発銀行(EBRD)を通じての融資も行われています。生産される天然ガスの多くは日本企業が購入することになっており、これらのことから政府が全面的に事業を支援しているように見受けられます。しかし一方で油流出事故をはじめとする環境や社会に及ぼされる影響に関して、日本政府は危機管理意識に基づいた十分な配慮・対策を取っているとは言えません。上記の数々の問題に関連し、日本市民から挙げられている下記の具体的な懸念について、日本政府に即座に対応していただくことを求めます。また日本政府がこれらの懸念に対応されることなく、サハリン開発に支援を続けることは見合わせていただくよう強く求め、要望書を提出いたします。本要望について2003年5月14日(水)までに、誠意あるご回答をいただけますよう要望いたします。
油流出事故への対応
隣国、韓国では、自国で発生した事故の教訓に基づき、1995年に旧来の法律を改正し、油流出対応体制の整備が進められました。基本的には、米国の油濁法(OPA90)と類似する体制整備を定めており、主な特徴は、海域・沿岸域を管轄する関係省庁や機関を「横断」して指揮監督するための「現場指揮官制度」、その指揮官を専門的な視点で支援する「防除支援官制度」などです。韓国では、2000年までに米国式の事故対応体制の整備を終え、更に「油流出事故対応計画書(Oil
Spill Contingency Plan)」の全国版及び主要なコンビナート施設を持つ港湾都市版の整備を進め、2002年度中に事故の発生を前提とし、陸域での対応を含む対応計画を完成しました。これは、陸上部の汚染を「管轄外」とする日本の『排出油防除計画』とは質的に異なったものです。
1997年に我が国で発生したナホトカ号重油流出事故では、推定8,660klの重油が流出し、福井・石川両県を中心に9府県の海岸に漂着し、被害総額は国際油濁補償基金の補償限度額をはるかに超え、解決までに5年8ヶ月を要しました。この事故の際、大勢のボランティアが全国から集まり献身的な回収作業が行われたことは事実ですが、それらはマスコミが取り上げたごく一部の海岸線の話に過ぎません。船首部が漂着した福井県三国町は国・地方・漁協等、6つもの「対策本部」が設置された一方、奥能登の大方の海岸線では三国町同様に大量の重油が漂着したにもかかわらず、極めて不十分な回収作業しか行われませんでした。その結果、今日未だに重油が残っている海岸線が存在しています。その主な原因は、漂着時の適切な流出油防除計画をもたない日本の油防除体制にあると考えます。
サハリンUの事業主体であるサハリンエナジー社も「油流出対応計画書」を公表していますが、この計画書では自社が設置する油井以外での事故が想定されておらず、油井事故が発生しても日本には影響がないとされています。しかし、生産された油の輸送過程で事故が発生し日本の海岸線を汚染する可能性はゼロではなく、タンカー航行等の頻度上昇に伴い、日本の事故に対するリスクは確実に高まることを認識せねばなりません。
油流出でダメージが最も大きいのは汀線を中心に陸側・海側、せいぜい数百mの帯状の範囲である「沿岸域」と呼ばれている領域であります。しかし、オホーツク海沿岸の漁業は、その沿岸域で行われており、この範囲を油汚染から守ることがいかに重要なことかが理解されます。
海岸線近傍あるいは広範囲な油流出事故時には、多くの場合海岸線の油汚染が避けられません。このままの体制では、ナホトカ号重油流出事故時と同様の混乱が生じる事が予想されます。国・自治体ともにナホトカ号重油流出事故を教訓とした抜本的な油防除体制の見直しが必要です。エネルギー生産を本格化させる前に、以下のような油流出事故対応を整え「国際標準」並にすることを強く要望いたします。
- あらかじめ各地域の海岸特性や生物の生息状況を記載したESI(Environmental Sensitivity Index
= 環境脆弱性指標)地図を作成し、ESIに基づいて各海域・海岸に適した防除方法を決め、国の「排出油防除計画」や「地域防災計画」に組み込む。
- 事故発生後の関係機関の時系列での行動を規定した計画を策定する。
- 回収から最終処分まで考えた油防除計画を策定する。
- 「計画」を機能させるために、現場で各関係機関や住民の意見を取り入れながら回収から最終処分までの指揮をとる「現場指揮官」をおく。
- 現場指揮官を専門的な視点で支援する「防除支援官」をおく。
- 大事故の場合は国の責任で防除し、油防除費用は国が一時負担し、原因者に請求する。
- 以上を実行するための法整備を行う。
北海道の漁業、地域への影響
漁業は、北海道経済において重要な役割を果たしてきました。北海道の漁業生産は、数量・金額ともに全国一となっており、平成13(2001)年の生産量(属人)は158万トンと全国の26.3%を占めています(農林水産統計)。今、その北海道の漁業がサハリン開発によって脅かされています。漁業は、唯一自然の再生産力によってのみ成り立つ産業です。一度タンカー事故などによる油流出が北海道近海で起きれば、北海道経済に大きな打撃を与えることは間違いなく、漁業によって生計を立てている地域では大変大きな不安を抱えています。冬場、流氷時に事故が起これば油の回収はますます困難です。しかし、サハリン開発事業者は、タンカー事故は責任外として予防や対策の措置を取っていません。更に、事業者が海洋への掘削汚泥投棄など長期間に渡って影響が表面化する恐れのある開発行為を行っていることも、漁業者としては許せる行為ではありません。直接的な影響を受ける可能性の高い北海道の漁業者や市民に対して、これまで日本政府、事業者はサハリン開発に関する説明責任、情報提供・情報公開の責任を果たしてきませんでした。このことによって、地域社会の不安はますます高まっています。何よりもまず「事故は必ず起こる」ことを前提に日本近海でのタンカー事故による油流出時の対応体制を早期に構築していただくこと、そして説明責任、情報公開責任を果たしていただくことを日本政府に対し強く求めます。
サハリンと北海道を往来するオオワシへの影響
オホーツク海沿岸部は絶滅の危機に瀕した希少種オオワシの繁殖地となっており、大規模な油田開発が計画・実施されているサハリン北東部沿岸にも本種の重要な営巣環境が広がっています。
(社) 北海道野生生物保護公社では2000年夏より、モスクワ大学と共同で本地域のオオワシの繁殖状況および行動に関する調査を実施しています。これまでの調査でサハリン北東部の湾周辺には約80ペアが繁殖していることが判かっており、200個以上の巣も見つかっています。また、繁殖に関与していない成鳥や亜成鳥、幼鳥を含めると湾の沿岸部(流入する河川の河口部を含む)には、夏季を中心に、少なく見積もっても250羽以上のオオワシが生息していると思われます。これらのワシは餌のほとんどを湾や河川の魚類に頼っており、特に繁殖中のワシは雛を育てるための重要な餌資源としても活用していることから、開発行為や油流出事故などによる環境破壊は本種の存続に重大な影響を与えることは明らかです。
ところが、サハリンUの環境影響評価書(EIA)にはオオワシに関する記載はほとんど無いばかりか、「チャイヴォ湾では5ペア、ピルトゥン湾でも5ペアが生息している」ことになっています。我々の調査では、開発により最も重大な影響を受けると推察されるチャイヴォ湾では約30ペアが、ピルトゥン湾周辺には少なくとも10数ペアが生息していることがわかっており、本評価書に記載されている情報の信憑性が疑われます。さらに、評価書ではこれらのワシへの影響として、「騒音」を最重要視しており、開発行為そのものによる営巣環境や餌環境の破壊、人や車両の立ち入りによる繁殖妨害、油流出事故による餌資源への影響、亜成鳥や幼鳥などへの影響については言及していません。サハリン北東部で繁殖したオオワシは北海道で越冬しています。オオワシは「日露渡り鳥条約」の保護指定種でもあります。日本政府の責任ある対応を要望いたします。
注:オオワシは日本国内法で天然記念物(文化財保護法)、国内希少野生動植物種(「種の保存法」)に指定されている。また、日本版レッドリストで絶滅危惧2類に指定されているほか、ロシア版レッドリストにも記載されており、日露渡り鳥条約の指定種として両国が協力して保護することが約束されている希少種である。
西部大西洋コククジラへの影響
サハリンTおよびUが進行している海域はまた、西部太平洋コククジラ系統群(ニシコククジラまたはアジアコククジラとも呼ばれる)の重要な採餌海域でもあります。ニシコククジラはもともと1万頭ほどいたと推測されていますが、日本や韓国の商業捕鯨により激減し、1970年代の初めには絶滅したと考えられていました。しかし、旧ソビエト連邦の研究者たちにより生存が確認され、ソ連崩壊後の1995年からはロシア、アメリカの研究者たちが毎年、現地で調査を続けています。それでも現在の推定生息数は100頭以下、繁殖可能な成熟個体は40頭程度とされ、IUCN(国際自然保護連合)によって絶滅危惧種の中でも最も危険度の高い「絶滅寸前」系統群とされています。ロシア政府によっても絶滅危惧、日本哺乳類学会や日本の水産庁でも絶滅危惧と分類されている、国際的にも最も絶滅の恐れの高い大型クジラの系統群のひとつです。コククジラは夏から秋にかけて北の海域で、泥ごと底生生物を吸い込み、泥や海水をヒゲで漉して食べています。冬に向かって南へ回遊し、そこで出産・子育てを行います。ニシコククジラの繁殖場は、まだ解明されていませんが、おそらく中国南部沿岸ではないかといわれています。
ニシコククジラの採餌海域はピルトゥン湾の辺りが唯一、知られています。調査によってその海域の海底には他海域とは比べものにならない高い密度で底生生物が見つかりました。つまり、今の採餌海域はニシコククジラが生き残るためには必須の海域なのです。さらに、ニシコククジラは騒音や振動にも敏感に反応するようで、油田探査のための地震探査が近くで行われた際に、採餌海域から離れ、調査が終わるとすぐに戻ったという調査結果も出されています。また、海面にでて呼吸をする海生ほ乳類として、油流出事故にも大きな影響を受けます。
日本近海に生息する鯨類の中で最も絶滅の危機に瀕しているこのニシコククジラの生存に向けて、できる限りの努力をすることは、かつてこのクジラを捕獲していた日本の義務ではないでしょうか。日本が出資し、日本企業も深く関わっているサハリン石油・ガスの開発に際して、ニシコククジラに特段の注意を払い、開発手法もそれに準じたものへ変えていくよう、日本政府の影響力の行使を要望いたします。
活断層とパイプライン敷設
石油を産出する地層の周りには地震を引き起こす活断層が多く存在します。サハリンも活断層が多く、最近でも1995年5月28日にサハリン北部を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生し、2000人以上の死者がでるとともに、多くの施設にも被害がでています。地表面に1〜2メートルのズレを起こすような地震が発生する地帯では、石油パイプラインを敷設する際には、断層の調査などを十分行って、敷設場所の選定や断層を横切る際の工法上の配慮が必要です。そのような中で、サハリンUの環境影響評価においては、活断層との兼ね合いが記されているところがなく、パイプラインの計画図にも活断層そのものやパイプラインとの交差が記されていません。
地震発生の確率をかなり高く見積もっていることがうかがえる反面、地震発生時にパイプラインからの石油流出などで、植生や漁業資源にとって貴重な河川への影響が甚大であると予測されますが、十分な対策が取られていません。活断層とパイプライン敷設に関して、適切な調査が行われるよう、政府の対応を要望いたします。
市民の参加プロセスの確保
サハリン開発は、その地理的・環境的な関係性から、サハリンだけではなく日本にも大きな影響を及ぼすと考えられます。サハリンT、Uともに懸念される油流出事故時の対応、また漁業への影響、環境への影響に加え、サハリンTでは今後日本への海底ガスパイプラインが敷設されることが計画されています。事業が着々と進められる一方、これらの開発事業に関して、これまで事業者や事業を支援する日本政府は、日本の市民への説明責任を全く果たしておらず、市民がこれらの事業に意見を言う機会、参加する機会は設けられてきませんでした。
このような大規模な計画が、日本の市民への適切な情報公開、事業策定の過程での市民参加を確保することなく進められていることを遺憾に思っております。上記に挙げられている懸念を解決、改善する具体的な方法として、日本政府が省庁間の連携を取り、次のような市民参加のプロセスを確保していただけるよう強く要望いたします。
- 地元住民、漁業関係者、自治体関係者、学識者、NGOなどの利害関係者に対し、事業に関して事前に十分な情報公開と説明を行うこと
- 同利害関係者と事業に関して事前に十分な協議を行うこと
- 同利害関係者との協議内容を事業へ反映すること
また、これらのプロセスを適切に進めていただくにあたって、関係省庁や利害関係者を交え、十分な透明性と説明責任を確保した協議を行っていくための「サハリン石油・天然ガス開発関係者協議会」の設置を提案いたします。