高すぎるコスト――インドネシア電力セクターの債務、汚職そして民営化


1997年に発生したアジア通貨危機によって、世界銀行やIMFが高く賞賛していたインドネシアの好景気は急激に悪化した。通貨危機がもたらした混乱は、ルピア暴落、失業と貧困の急増にとどまらず、各地で暴動と流血を伴う最悪の社会危機にまで発展した。軍による抑圧と外国企業と結託した腐敗によって政権を維持してきたスハルト政権の歪みは、いま大きすぎる犠牲をもたらしている。 国家産業の基幹ともいえるインドネシアの電力セクターもまた、アジア通貨危機後に一挙にその問題を露にした。危機直前に多数の大規模発電プロジェクトを推進してきた国営電力企業PLNは膨大な負債に直面し、民間発電事業会社(IPP)との契約見直しを迫られることになった。この過程で、大規模開発プロジェクトに絡むスハルト一族と外国企業との腐敗の実態、楽観的にすぎた電力開発計画や多額の資金借入などの問題が明らかにされつつある。
しかし、無責任な政府と企業によって進められた高コストプロジェクトのつけを負わされるのは、けっきょくインドネシア国民だ。IMF・世界銀行・アジア開発銀行そして日本は、通貨危機後の経済支援と引換えに、ドラスティックな電力セクターの改革を求めている。よりいっそうの民営化と自由化を推し進めるこの改革案は、大幅な電気料金の値上げとPLNのリストラ、そしてより純粋な市場メカニズムにもとづく電力供給を提案している。この計画がもたらす「痛み」がどの程度のものになるのか、またその効果についても、多くの疑問が残されている。
そして何よりも私たちが考えたいのは、日本政府と公的金融機関「国際協力銀行」の役割だ。通貨危機以前には日本企業による多くの大規模プロジェクトを後押しし、現在も多額の資金を「電力改革」という名目で投入している。しかし一貫しているのはその不透明性であり、国民への説明責任と持続的発展への視野の欠如である。グローバル化の進展が、今後も繰り返しこの種の「危機」をもたらすだろうことは、もっとも極端な自由主義者も認めるところだ。しかしインドネシアの人々がはらってきた犠牲を真剣に受け止めるなら、同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。そのためには市民による「危機」の検証と、多額の資金の監視が不可欠だろう。

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