サンロケ多目的ダムプロジェクト
イバロイ族の川ーアグノ川を守ろう
アグノ川の流れを止めるな!土地を守り、人々を救おう!
(コルディレラ民族同盟(CPA)のパンフレットより)
川
アグノ川はフィリピン諸島のコルディレラ地区を源流とする主要な5つの河川系の1つである。アグノ川は中央ルソンのパンガシナンとコルディレラのベンゲットを横切っている。
アグノ川の流れは、土地とそこに住む人々のためにある。米、タロイモ、サツマイモ、そして果物の木々は、何ヘクタールもの水田にもかかわらずアグノ川の土手の側で栽培されている。川の水が土地の緑を絶やすことはなく、人々を何年もの間養ってきている。
川はまた、淡水魚と金の供給源となっている。のどの渇きを癒すコップ一杯の水を満たすために、洗濯に使うたらいのために、身体を洗うバケツのために、そして急流のとどろきで人々の心を元気にするために、小さな支流は小川や運河を通って人々の家にたどり着く。
土地
ダルピリップの山岳地帯、イトゴンでは、ボコド、カバヤン、ベンゲット、ティノック、イフガオ等を祖先の地とするイバロイ民族603家族が暮らしている。イトゴン市のボコドとカバヤンをアグノ川が横切っている。初期のダルピリップの植民者がアグノ川の流れをつたい、土地を見つけその土地に定住することとなった。
ダルピリップはそこに住む人々によって、神聖な土地として守られてきた。土地の一部は、先祖を埋葬する場所である。重要な歴史的価値があり、イバロイ文化が残る場所である。最初のイバロイ議会が開催された場所でもある。日本がフィリピンを占領していた1942年当時、ダルピリップでフィリピン軍第11歩兵連隊の下に最初のゲリラ活動が組織化された。死の行進の生存者達が隠れ、健康を取り戻した土地だ。ダルピリップと人々は、何世紀もの間文化的同化に耐えてきた。他のイバロイ文化が外国からの採鉱やダムの侵入によって滅びて滅びていくのを過去何十年と目撃してきている。
パンガシナン州サンロケはさらに下流に位置する。水田、野菜畑、牧草地、森などが広がる起伏の少ない平坦な土地である。人々が“バンカ(植林地)”と呼ぶ土地には、マンゴー、バナナ、ipil-ipilなどの木が植えられている。
サンロケの二つの集落の住人は、彼らの祖先が土地を開拓し、誰も所有していないと主張している。しかし、何年か後、ある裁判官ベントューラがクリボンとカラクタンの二つの土地は彼のものだと権利を主張し始めた。五年間、裁判官は人々が彼の土地で無償で収穫する事を“認めた”。次の年からは、土地の使用料として収穫高の3分の1を裁判官に納めなければならなかった。彼らは、彼らが所有すると信じる土地の権利書を持っていなかったために、そうしなければならなかった。このようにして、ナショナルパワー社がベントューラから土地を買うまでの間、彼らは食卓に乗せる食べ物をかろうじて得ることができた。
人々
イバロイ族はコルディレラ独特の民族である。彼らには、土地と土地所有という土着の信念や概念とは切り離せない独自の社会政治的制度、伝統、そして儀式がある。日々の生活の糧は主に農業や川で捕れる魚に頼っている。米、根菜作物、果物の他に焼き畑でとれる野菜がある。大雨の後の、土手での金の採取は大切な現金収入となる。山の麓では家畜を放牧し、更に上の方の森で薪や家を建てるため、あるいは部屋を飾るための材木、チガヤ、竹を集めている。イバロイ族は勤労によって、何世代にもわたって豊かで平和な生活を送ってきた。彼らは先祖代々の土地であるダルピリップによって支えられている。アグノ川の水も大事な支えである。地域社会での生活はダルピリップに根付いて、アグノ川とも密接に関わりがある。これからのイバロイ族の未来は、土地を守り、川を保護し、地域を一つにまとめるという、今なお続く戦いにかかっている。
反対に、サンロケとパンガシナンの多くの住民は耕作地を所有していないが、しかし彼らの生活にも土地は重要である。ダルピリップ住民と同様に、サンロケの小作農業者も土地とアグノ川での漁業に生活を依存している。畑や果樹からの収穫物は女性たちが市場で売り、現金収入を得ている。また、炭焼きや砂金取りも副収入源となっている。
アキノ政権及びラモス政権下で包括的農業改革計画が策定されたにもかかわらず、サンロケの農民たちは、彼らが何年にもわたって耕作してきた土地を所有する権利を与えられなかった。そして、その土地の所有者が耕作地を政府の所有する会社に売り渡してしまったために、生活の手段を奪われた農民にはわずかな望みしか残されていない。
プロジェクト
サンロケ多目的ダムプロジェクト(SMDP)はフィリピン電力公社の最重要計画である。このプロジェクトは、1950年代、60年代、70年代にルソンのエネルギー需要の増加を見込んで州が計画したアグノ川流域開発計画の一部である。11億9100万ドルがダムの建設費として見積もられ、345メガワットを水力発電によって作り出す予定だ。
もし完成すれば、前ラモス大統領が力を入れたこの計画は、フィリピンだけでなくアジア全域で最大の水力発電ダムとなるだろう。そしてもし完成すれば、ダムはベンゲット地区に住む2000ものイバロイ世帯に悪影響を及ぼし、パンガシナン側に住む少なくとも325世帯が移住しなければならない。
計画の歴史
アグノ計画は元々5つのダムからなっていた。アグノIは1956年にベンゲット州ボコド市のアンブクラオに建設された。ビンガのアグノIIは、ベンゲット州イトゴン市のティノンダンに1960年に作られた。アグノIIIは、イトゴン市ダルピリップ地区のタブ村に作られる予定になっていた。ベンゲット州パンバサン市にアグノIVが、パンガシナン市のサンロケにアグノVが建設予定だった。しかし、ティノンダンとダルピリップのイバロイ達はアグノIIIの建設に異議を申し立て、ついにはアグノIII、IV、Vの計画は当時のマルコス大統領にとって取りやめられた。
20年後(1993年)、アグノIII、IV、Vの建設計画がNPCによって復活した。現在、サンロケ多目的ダム計画と呼ばれる巨大な水力発電所である。計画はエネルギー省の電力開発計画の1993年から2005年のリストに載っている。ラモス大統領のフィリピン2000年のための中期開発プログラムの重要要素となっている。
計画案
サンロケダムプロジェクトには、パンガシナン州サンマニュエルのサンロケ村に建設されるダム及び関連設備が含まれる。最近の設計変更に基づいたダム軸は、ベンゲット州イトゴン市のダルピリップ村のシティオタブからは22km離れている。このダムは、採掘、アグリビジネス、輸出工業、そして北西部のルソン成長区画に計画されている観光センター等に安定した水力発電を供給することを目的としている。これは、海外投資家をこの地域に引きつけるという意味でとても重要な計画である。これらが、サンロケダム建設の主な理由である。
ルソン北西部をエコ・ツーリズムと農業ビジネス地区にする非電力部門は、このプロジェクトを海外投資家にとって更に魅力のある計画とするために付け足された。これには以下のものが含まれる。
*:パンガシナン低地、ヌエバエシハ及びタルラックの87、000ヘクタールに水を供給するための灌漑施設。
*パンガシナンとタルラックの少なくとも16の町々で雨期の間やむことのない洪水を50%減らすための洪水制御設備。
*バルブや家々の蛇口を通して北部ルソン一帯に提供される水質を向上させる上水道システム。
組織
ラモス大統領の最優先計画として、最も強力なプロジェクト遂行機関を作るために15の政府組織・機関が動員された。これらを率いるのは大統領室、エネルギー省、そして政府所有のフィリピン電力公社である。他に環境・天然資源省、農業省、財務省、予算運営省、観光省、公共事業・高速道路省など6つの政府機関がこの計画に関与している。灌漑局と経済開発局--国際商業会議所--コルディレラ行政区画もまた計画に関わっている。さらに政府活動を地域レベルでスムーズに運ぶために、パンガシナンとベンゲット二つの州政府、そしてサンマニュエル、サンニコラス、イトゴンの3つの市政府が強力な機関を作るために加えられた。
ラモス大統領は任期が終わる前、NPC前社長guido Alfredo Delgado及びBOTスキームの下で発電所の建設、運営、維持を請け負う海外企業のコンソーシアムとの契約調印式をマラカナンで行った。サンロケパワー社(SRPC)として知られるこのコンソーシアムは、日本の丸紅(資本42.5%)、サイス・フィリピン(ニューヨークのサイス・エナジー子会社:50%)、大阪の関西電力(7.5%)によって構成されている。
SRPCが計画の電力部門を指揮し、政府機関は非電力部門を率いることになる。また、サンロケ多目的ダム計画が支障なく実行されるよう、海外企業コンソーシアムを補佐するのもSRPCの任務である。
プロジェクト資金調達
プロジェクト資金のうち約49%は計画の発電部門に、40%は灌漑設備、9.7%は水質を向上させ安定させるであろう水道システムに費やされる。残りの1.06%は洪水制御設備に割り当てられている。
計画資金のうち、日本輸出入銀行は、1998年10月27日、丸紅率いるコンソーシアム(SRPC)がダム建設のために申請した3億2百万ドルを(地元の人々と海外の国際組織からの強い反対にも関わらず)承認した。現エストラーダ大統領は、前政権の重要計画に対する全面的支援を表明し、自ら輸銀に融資承認を訴えた。
BOTスキームの下では、サンロケパワー社が貸付銀行に対して義務を果たすことができない場合、この場合の事業パートナーであるフィリピン政府が債務の負担と返済を強いられることになる。政府は同じスキーム下でサンロケパワー社と電力購入契約(PPA)を結んだが、このPPAは、電力生産を行う外国企業コンソーシアムに確実な電力市場を保証するためのものだ。この条件下では、2004年のダム完成後、NPCは1時間/キロワットあたり約2.98ペソで電力を購入しなければならないことになる。
日本輸出入銀行が承認した3億2百万ドルの他に、サンロケパワー社は昨年、1億4350億ドルの組織的融資を日本の銀行(東京三菱、富士、住友信用、農林中金、さくら銀、三和銀行)から得た。
合わせて4億455万ドルの融資が、発電部門の建設のために承認されたことになる。この発電部門はサンロケダム計画の中でも利益をもたらす部分だが、その利益は、必然的にダムを建設する海外コンソーシアムのものになるだろう。
フィリピン政府はその上、NPCを通して、計画の非発電部門を遂行するために、輸銀から更に4億ドルの融資を得ようとしている。
フィリピンの人々がこの計画から利益を得るかどうかは、融資が認可されるとして、負債を負った政府所有のNPCと債務に苦しむフィリピン経済が、この追加融資に対してきちんと返済責任を果たせるかにかかっている。追加融資がなければ、この「多目的」計画には、345メガワットの電力を供給するという本来の華々しい目的だけが残ることになる。そして、発電によってもたらされる便益とは次のようなことに他ならない。
外国の採掘会社にコルディレラ地区の金を効果的、能率的に採掘するために必要な電力を供給すること。グローバル化の名の下に、低賃金労働者を搾取する外国そして輸出工業に活気を与えること。そして、他に生きる手段を見つけることのできないフィリピンの乞食、メイド、ウェイトレス・ウェイター、売春婦や子どもに慈悲深くも小銭を恵んでやる観光客の便利をはかってやるということだ。一方で、先住民たちは生活費を稼ぐために観光客の前でゴングを鳴らしながら踊る羽目になるだろう。それが、政府と海外の大企業による開発計画から、彼らが得る「利益」なのだ。“国の成長と発展”という名のもと、炭坑やダムのため移住させられ、土地や家、生活を犠牲にした挙げ句に、先住民もやっとわずかなコインに与かるというわけである。
プロジェクトの実行
1997年5月、他ならぬ当時の大統領フィデル V. ラモスによって華やかに執り行われた起工式が公式的にサンロケプロジェクトの遂行開始の合図となった。影響を受けるベンゲット側の住民の強く声高な反対を考慮するとのラモス大統領の表明や、ベンゲット州の村、市、州政府からの公式な是認の欠落、またイトゴン市議会がプロジェクト是認にあたり提示するはずの前提条件がまだ公表されてないという事実等に関わらず、式は執り行われた。
1998年の第1四半期までには、NPCは、下請け契約会社のアジア・コンストラクション、コンストラクション・アンド・ドリリング・スペシャリスツ・インコーポレーション(CDSI)やレイセオン建設と共に既に、最終的に高さ205メートル、長さ1000メートルとなるダムのための回り道用のトンネルを作り始めていた。また彼らはサンロケ地域を自分たちの用具保管、現場のオフィス開設、或いはダムに必要な道路やその他基礎的施設建設のためにきれいに一掃してもいた。
これは1998年2月に、人の居住地として適する、しかるべき永住地の用意がないにも関わらず、サンロケ村にある160以上の世帯を強制的に立ち退かせる事となった。1999年1月になってようやく、立ち退かされた住民達のためのコンクリート建ての小さな家々が完成されたばかりである。しかしながら、最近の報告では新たに64世帯が再び今年度中に移転させられる事になったという。現在のところ、提供されうる移転用の永久住宅設備は一式もない。
プロジェクトの影響
イバロイ民族はアグノ川を神からの贈り物として捉え、この贈り物を乱用しないよう最大限の気配りを払ってきた。それとは対照的に、国が彼らの祖先の地での操業を許可した外国の採掘会社はアグノ川を廃棄物を捨てる格好の場としてきた。コルディレラの1番最初のダムが建設されたのもアグノ川沿いであった。そしてビンガやアンブクラオのイバロイ民族は“国の発展”のために自分たちの土地と生活を犠牲にする事を求められた。
ビンガダム及びアンブクラオのダムは長い間発電してきたが、その近隣地域には未だに電気がない。移住させられた人々の多くは自分たちの家や土地や暮らしを失った事に対し、一度も補償を受けたことがない。何人かはマラリアの蔓延った移住先にて死亡した。一方、その他の人々は雇用の機会も限られ、不毛の土地で飢えに苦しんでいる。
ビンガやアンブクラオのダムにより立ち退かされた人々の多くがダルピリップの人々の親戚である。そして今、同じ犠牲がダルピリップのイバロイに求められている。しかし今度の犠牲はもっと大きく、“国の発展”が正確に何を意味するのか、疑問はさらに大きい。
1. 浸水
真っ先に受ける影響は、貯水池に計画されている地域内に位置する家や農業地の浸水である。NPCは貯水池地域が14平方キロメートルに届くと計算している。これはダム用地の上流20キロメートルまで拡張するだろう。
シティオ・ブランギットから(パンガシナン側の)モナダングまでの約100ヘクタールの肥沃な稲作地が水没すると見積もられている。その上、事実上、サン・マヌエル全体とサン・ニコラスそっくり全部が影響を受けるだろう。これらの地方自治体はパンガシナ人とイバロイ移住者合わせて61,432人の人口を抱える。ベンゲット側にある家々、何世代にも渡って精力的に育てられた段々の稲作地、果樹園、牧草地、庭園、砂金洗い場やアグノ川と密接した生活を送るイバロイ民族の墓地はやがて川の上昇によって氾濫してしまうのである。これらの地域にはNPCが主張するような3家族ではなく、少なくとも343家族はいるのである。
さらに、政府がサンロケ多目的ダムプロジェクトは低地におけるアグノ川の氾濫による洪水の発生をコントロールすると主張する一方で、プロジェクトの環境影響評価は“貯水池は洪水ルートに関する誤った管理に対する抵抗力がない”事を認めている。そしてこの結果、パンガシナンやターラック平原のほとんどの下流地域において“破滅的な洪水”となるかもしれないと環境影響審査会は述べている。
2. 土砂堆積と侵食
すぐに水没するであろう地域を除いて、アンプカオのタユムから上はティノンダンまでのベンゲットのその他のもっと高くに位置する地域の居住者達もまた、アグノのダムから生じる沈泥の堆積のため、立ち退かなくてはならないのである。独自調査では、バランゲイ・ティノンダンから上はイトゴンのダルピリップまでの少なくとも2000家族が沈泥と腐食による影響を受けると見られる。
現在、すでにかなりの土壌浸食や堆積が、イトゴンのたったの4つの鉱業会社の大規模な露天掘りや大量採鉱作業の結果として生じている。1995年度版のフィリピン鉱業条例の法の一節により、もっと大規模な鉱業会社がコルディラ地域に進出する事が予想されている。ニューモントという、米国最大規模の鉱業会社は既にサンロケダム用地周辺のベンゲット、ヌエバ・ヴィスカヤ、パンガシナンの三角地帯を求めて申請書を提出しているのである。この申請は少なくとも100,000ヘクタールの土地を包含する。加えて、サンロケダムの河川流域内にそれよりかは規模の小さい鉱業申請も提出されている。
もしこれらの申請が認可されたら、アグノ川の堆積はとてつもなく増大する。そして堆積により影響を受ける地域は、NPCが15年前に行ったフィージビリティースタディーで予測したよりはるかに大規模になるが、NPCはそれがサンロケダムの可能性に基づいてと言及し続ける。何年もの間、貯水池の土砂堆積はアグノ川の水を上昇させ、より広い地域へと増大して洪水を起こすものであった。
3.維持可能な生計の損失と集水域管理への疑問
ダム建設の結果として、何千人もの人々が、アグノ川沿いの自分達の稲作地や畑、 果樹園、牧場、森林、砂金洗いや釣り場所等の生計手段を失う事になる。その地域の生態系同様に、人々の生計システムもダム建設により破壊されるのである。他のどこに彼らは別の安定した生活手段を見つけられるのだろうか?
その上、現行の森林法はどの河川流域内においても経済活動の追求を禁止している。サンロケダムの河川流域はサンニコラス、サンマヌエル、トゥバ、イトゴンの自治体内39,504ヘクタールに及ぶ。その地域内に住む全ての人々が影響を受ける事になる。(上記の氾濫、沈泥、腐食により影響を受けるだろう予想世帯数では河川流域内住民は除かれている。)たとえダムプロジェクトによって立ち退かされる事がないとしても、自分たちを何世代にも渡ってサポートしてきた土地の利用を禁じられるとしたら、彼らはどのように生きていくのだろうか?
プロジェクト支持者はダム建設は、プロジェクトによって経済的に混乱させられる人々のために雇用を創出すると主張する。しかし会社が、建設業に関する知識やスキルの少ない農民ではなく自分達が必要とするスキルを持つ応募者を受け入れるのは目に見えている。ダム建設が2,3年間雇用を創出したとしても、ダムが建設された後には一体何をする事が人々に残されているのだろうか?自分たちの生産手段が取り上げられたとしたら、どんな生計の選択肢に頼ればよいのだろうか?
4. 先住民族コミュニティーの崩壊
ダムプロジェクトによる影響は個人や家族単位だけではない。コミュニティー全体が根絶やしにされてしまう。
イバロイ民族の先祖の土地は民族としての存在の基盤を構成している。様々な慣習・伝統・儀式・信念・社会政治システム・農業システムが彼らの土地に根付き、つながっているのである。土地を失い、コミュニティーが分裂すれば、先住民族の社会政治制度は確実に解体するだろう。彼らの伝統的な知識、信念、システムは崩壊するだろう。そして、ビンガやアンブクラオの人々のように、ダルピリップのイバロイ民族はそれぞれ別の土地に分散させられ絶える事となるだろう。ダルピリップが、そして固有な文化全部が永遠に絶えてしまうだろう。この問題は単に人々を別の地域へ移す事で解決できるものではない。それどころか、彼らは移住する事自体を問題と捉えている。
5. 川の水質の更なる低下
サンロケダムプロジェクトの目的の一つに、鉱山の砂泥をサンロケ側の貯め池に囲い込むことで、アグノ川の水質を改善することが挙げられている。目的としてはすばらしいが、方法となると別だ。ダムにこの目的遂行を期待するのはおかしな事である。鉱山の砂泥を囲い込むと「沈殿物の堆積が増大し、事実上、ダムの使用年限を大幅に短くすることにな(EIA)」り、洪水や堆積の影響を受ける地域を広げことになる。
その上、川を汚染するのは鉱山からの沈殿物だけではない。もっと悪いのは鉱業会社が鉱石の加工に使われた後アグノの支流に無責任に排出される有毒な化学薬品である。ダムや水道システムはこの問題を解決しない。維持可能な自分達の自然資源の使用と管理という、イバロイ民族が何世紀にも渡って行ってきた方法が、解決するのである。
このように、サンロケ多目的ダムプロジェクトから最も多くの利益を得る立場にいる鉱業会社こそが、自分たちが重く依存する力の持ち主である、まさにその川を破壊しているのは皮肉である。
6. 自然環境の破壊
巨大水力発電ダムは、深刻な環境破壊をもたらす事で知られている。水没される地域に生息している動植物の喪失、生物の多種多様性の喪失、そして自然水中植物破壊による生態系のバランスの崩壊である。飲料水を媒介とする病気の増加も、ダム用地に近い地域で注目されている。これに加え、地表に堆積された水で加えられた強い圧力と、ダム用地が主要な断層ラインの近くに位置するという事実の結果として生じる地震の脅威がある。サンロケダムによってもたらされる自然環境への脅威は深刻というだけでなく、危険である。
不確かなダムの寿命
現在の鉱業会社の操業のみから生じる高い堆積・侵食率からも、サンロケダムの経済的寿命は十分に疑問となる。ダムの貯水池がそこに収集されるくず鉱、土、沈泥のその容量を28年以上も容積できるかは懐疑的である。それはまた新たな問題提起となる。28年以上ももたないであろうダムを1つ作るだけのために、(何世紀にも渡って発展し何世代もの人々を養ってきた)我々の自然環境をそれ程までに破壊し、61,700人以上の個人を苦しめ異動させ、何億ペソもそれに費やす事は賢明なのであろうか?
政府の活動
プロジェクトに対する反対意見の高まりにも関わらず、フィリピン政府はサンロケパワー社との黙認により、積極的にサンロケ多目的ダムプロジェクトの遂行を続けた。それにより人々の基本的権利を無視するところまでいってしまった。政府は自らが作成し、施行する事が課せられている法を犯しているのである。彼らは先住民族権利法(共和国法8371としても知られる)だけでなく、地方政府規約をも違反してしまったのである。
1999年1月19日、内務地方自治省の副長官、ロナルド・プノは非公開会議にて、議会の公式なサンロケ多目的ダムプロジェクトの是認と交換に経済基盤とその他のプロジェクトに対する61.7億ペソの資金をちらつかせた。人参は串付きだった。プノが言うには、是認がなければ、エストラーダ大統領の任務期間が終わるまでイトゴンの自治体への資金提供はないだろうとの事だった。噂によると、プノはすぐこう付け加えたそうである。「我々中央政府は今後2,3年のうちに新しい市の役人達と話す事になるかも知れない。」
それらの言葉が地方政府のプロジェクトへの反対の終わりを告げた。
それは、彼らの自己利益か選挙人の利益かの単純な選択だった。2日後、地方政府のサンロケ多目的ダムプロジェクト是認はラジオで放送され、すべての地方紙を飾った。10人中8人がプロジェクトの賛成に投票し、2人だけがプロジェクトの是認反対に投票した。
1月22日までに、コルディレラ地方集会が政治家達のプロジェクト是認に便乗した。その間、日を同じくして、エストラーダ大統領はパンガシナンにあるサン・マヌエルに前任者フィデル・ラモスを伴って個人訪問を行った。訪問の間、追いやられるパンガシナン居住者のための生計の機会が約束された、永住強制疎開地が披露された。しかし、人々の反対は無視されたままであった。
人々によるサンロケ多目的ダムプロジェクト反対のキャンペーン
サンロケ多目的ダムの潜在的な災害の影響に対し、ダルピリップのイバロイ民族はダムプロジェクトへの反対を一貫して強く表明してきた。彼らは1996年に、自分達自身のサンタナイ先住民族運動(SSIPM)という、自分たちの結束と自分たちの土地、川、村を守ろうという決意を一層強化した共同体の組織を結成した。またSSIPMは、さらに規模の大きな組織である、コルディラ人民同盟という、コルディラの各地からのメンバーで構成される地域規模の先住民族組織とも同盟を組んできた。
地域内、全国、そして国際社会におけるその他のセクターや組織の支持により、SSIPMとCPA兵士はダム建設の防止運動を行った。教師、生徒、教会職員、専門家、労働組合、そしてその他の農民組織がイバロイ民族のピケ、行進、ロビー活動、記者会見、デモ、集会、署名運動に参加した。
1月9日、サンロケプロジェクト委員会副委員長のレイ・カニングハムは、ダルピリップを個人訪問し、人々に「ダルピリップの経験がビンガやアンブクラオのイバロイ民族とはどのように違うか」を言い聞かせた。彼は「自分は第3世界の人々の生活水準を(自分たちのように)向上させる手伝いのために来た」と主張しながら、人々にプロジェクトの利益を説得する事を願った。しかし、人々は彼にぶっきらぼうに、「もし本当に我々を助けたいと思うなら、荷物をまとめて帰ってくれ。ダムはここではなく、自分の国で作ってくれ。」と話した。
カニングハムは敗れてダルピリップを去ったが、彼は市議会のプロジェクト是認獲得戦では勝利した。大勢の居住者がニュースを聞いて泣き叫んだが、1月21日のイトゴン市議会のプロジェクト是認は彼らの目に宿る希望の炎を消しはしなかった。それどころか逆に炎を扇ぐことになった。この経験は、無益の政府の役人が自分たちの選挙人の利益や福祉の事になるとどのようになり得るかという事を人々に知らしめた。政府と大きなビジネス間での黙認も存分に露わにされてきた。また、国家の外国資本主義者や地方エリート達の機械としての本質も露わにされてきた。しかしとりわけ、何年にも渡るサンロケダム反対の奮闘は人々に変化に到達するためには闘争的な行動と自分たちの組織化された強さに頼る事を教えてきた。歴史を築くのは彼らであろう。そして未来の世代に我々国家の歴史を誇りに思わせるのも彼らであろう。
人々は自分たちの奮闘で前進し続けた。そして1月22日、日本輸出入銀行の環境専門家達がダルプリップを訪問中、人々は再び自分たちのプロジェクトに対する反対を繰り返し主張した。自分たちのダム拒否の理由を明確に表明した後、輸銀の代表者にサンロケ多目的ダムプロジェクトへの資金提供から手を引くよう嘆願した。
イバロイの先祖の土地や資源を守るため、ダルピリップ保護のため、イバロイのコミュニティーを不変なままに保つため、環境保護のため、フィリピンの人々の本当の自由、主権、民主主義を願う苦闘の中での生存と前進のため、それら各奮闘において大勢の人々がイバロイ民族を支持し続けている。
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