『破局への財政支援
−G8各国による原子力技術国際移転への財政支出の実態』 (「日本の輸出信用機関と原発輸出」の章、訳文)
全文(英語)はこちらをご覧ください。
→→www.eca-watch.org/G8_eca-nuclear-2001.pdf
1.日本の原子力産業の成り立ち
日本の原子力産業は、5つの企業グループを形成している。いずれも、戦後に解体された旧財閥を核とするものである。各グループは、アメリカによる対日原子力協力の表明を受けて、1955年から58年にかけて設立された。原子力が旧財閥を復活させた、と言うこともできよう。 5つのグループのうち、特に強く原子力の商業利用にかかわることになったのは、かつての三井財閥の流れを汲む東芝/三井グループ(日本原子力グループ)、日立グループ(東京原子力グループ)と、旧三菱財閥の三菱グループである。東芝/三井グループと日立グループは、アメリカのGE社と技術提携をして沸騰水型軽水炉(BWR)を製造しており、三菱グループは、米WH社との技術提携のもと、加圧水型軽水炉(PWR)を製造してきた。これらの技術提携関係は、火力発電所の技術提携先をそのまま引き継いだものである。 その結果、日本ではBWRとPWRが原発市場を分け合ってきた。世界の大勢とは違って、むしろBWRのほうがやや多い(台湾もBWRのほうがPWRより多い)。 日本初の商業炉は、16万6000キロワットのガス冷却炉(GCR)の東海原発で、1966年に運転を開始し、1998年に終了した。イギリスのGEC社から輸入したものである。東海原発はきわめてコストが高いものとなったため、GCRは1基のみで後が続かず、その後の商業炉はすべて軽水炉となった。1970年から1997年までの間に、BWR28基、PWR23基が運転を開始している。建設中のものはBWR4基であり、PWRは1基もない。原子炉系統のメーカー別に見ると、三菱が23基、東芝が20基、日立が12基となる(初期のもの、出力規模が大きくなった際の初号機では、主契約者が米企業であったり米企業との共同であったりしている)。 東海原発の建設に際しては、GEC社および英国原子力公社から総工事費の38%に当たる174億円の融資を受けた。東海第二原発では、同じく35%に当たる320億円を米国輸出入銀行(EXIM)および米市中銀行から、敦賀1号では39%の148億円をEXIMとGEなどから借款している。美浜1、2号では38%の294億円を、高浜1、2号では23%の305億円を、大飯1、2号では21%の437億円をEXIMとWH、市中銀行から借款、福島第一1、2号では36%の420億円を、同6号では46%の383億円をEXIM、GE、市中銀行から借款した。
2.原子力資機材輸出の歴史
日本のメーカーは、これまでにかなりの数の輸出実績を持つ。大型機器では、原子炉圧力容器、格納容器、蒸気発生器、タービン・発電機といったものがある。しかし、日本のメーカーが主契約者となった例は1つもない。いずれも他国の主契約者への納入となっている。台湾の龍門原発(PWR、135万キロワット×2基)については、日立と東芝が原子炉系統を製作し、実質的な主契約者であるが、形式的には主契約者は米GE社である。 日本のメーカーが主契約者となることを避け、むしろ下請けを望む理由としては、@投資額の回収がより確実であること、A燃料供給や使用済み燃料の処理処分などのサービスの提供をしなくてすむこと、などが挙げられる。また、B総合的な新システムの開発力に欠けるとの指摘もある。 とはいえ、日本のメーカーが主契約者となって原発を輸出しようとする動きもある。一般的な“願望”としては、1970年代からすでに繰り返し輸出推進論があった。具体的な応札は1980年代後半からだ。そのころから日本国内での受注が減少しはじめたからであり、1990年代にはさらに受注が激減し、輸出への志向が強まっている。 三菱重工は1992年3月、WHから技術導入してきた技術の使用料支払いなどを定めたそれまでの技術提携契約を解消し、クロスライセンスを骨子とする新契約を締結、自らが主契約者ないし共同主契約者となる動きを加速した。 にもかかわらず主契約者としての落札できなかった理由としては、@コストが高いこと、A政府による輸出許可の条件が厳しいこと、B電力会社が協力的でないこと、などが言われている。コストについて付記しておけば、他の輸出国に比べて高いとされながらも、日本国内向けよりはるかに低価格で、赤字必至の応札をしてきた。そのぶんを国内販売でカバーしてきたのだが、国内での受注が減り、また国内でもコストダウンを迫られる中、赤字分の転嫁は難しくなってきている。 メーカー側には、政府の姿勢がハードルになっているという声が大きい。日本は核兵器関連機器の供給規制に参加しており、原子力資機材の輸出に当たっては、核不拡散条約(NPT)の締結およびフルスコープ保障措置の受け入れを前提条件としている。その担保として、二国間原子力協定の締結または口上書の交換を求め、受領国政府から以下の4点の保証を取り付けることとしている。@平和的・非爆発的な目的での使用に限るA適切な核物質防護の適用BIAEAの保障措置の適用C再移転の場合には上記@〜Bの保証を再移転の受領国から取り付ける。 さらに、包括的核実験禁止条約(CTBT)を締結しているか否かも考慮される。 また、国による貿易保険の引き受け、国際協力銀行(JBIC)の輸出金融供与条件として、「安全確保、放射性廃棄物対策及び原子力事故発生時の適切な措置体制の整備の観点からの十分な配慮が行なわれることにつき確認されること」を求めている。これは、福島瑞穂参院議員の質問に対する通産省(現経済産業省)及び国際協力銀行からの回答書(2000年3月)からの引用で、両回答書ともまったく同文である。国際協力銀行の融資は経済産業省の輸出許可が前提となっているので、実質的には国際協力銀行の審査でなく、経済産業省の判断に沿って国際協力銀行の融資も行なわれることになる。 具体的には、原子力安全条約、原子力事故早期通報条約、原子力事故緊急事態援助条約や、廃棄物の投棄による海洋汚染防止条約(ロンドン条約)、原子力損害賠償に関するウィーン条約またはパリ条約の締結といったことが考慮される。輸出企業に対しては、保守・補修サービス、研修サービスへの対応を求めている。 これらが、核拡散や原子力災害を防ぐ上で十分なものとはとても思えない。安全関する条件の追加は、1995年6月に総合エネルギー調査会の原子力部会が報告書『近隣アジア地域における原子力発電の安全確保を目指した国際協調の下での多面的対策』をまとめ、「安全のワンセット供給」という考え方のもとでの輸出を提言して以来のものである。メーカー側では、こうした条件は国際的な水準と比べて「厳し過ぎる」と見ている。 現実には、台湾への輸出について、台湾と国交がないことを理由に米国務省から在米日本大使館に宛てた口上書(核兵器への転用の疑いが生じた場合は日本政府と相談するというもの)のみをもって保証の取り付けとするなど、運用はむしろ甘過ぎると言ってよい。
3.原子力に関わる輸出信用の概要
原子力資機材の輸出に関わる日本の輸出信用システムとしては、国際協力銀行の融資と国による貿易保険の引き受けがある。国際協力銀行の融資も、上述のように、政府の基本政策に適合するように融資を行なうこととされている。 日本の公的経済協力機関には、国際協力銀行及び日本貿易保険(旧・通産省貿易保険課)の2つがある。 国際協力銀行は1999年10月1日、それまでの日本輸出入銀行及び海外経済協力基金の統合により設立された。年間の出融資予算は2.5兆円にのぼる、世界最大の開発金融機関である。国際協力銀行業務は、ODA資金を供与する海外経済協力業務および日本企業の輸出や海外投資を融資や保証により支援する国際金融等業務の二つに大別できるが、国際金融等業務にはこのほか、「国際金融秩序の維持」を主目的とする公的セクター向けのアンタイドローンも含まれる。このように二国間機関でありながらも国際協力銀行は多国間開発銀行(MDB)のような機能を果たしており、その資金の大半はアジア地域に向けられている。 一方、2001年4月に旧・通産省から分離し独立法人となった日本貿易保険は、国際協力銀行と協力して、輸出や代金回収に関わるリスクへの保険を日本企業に提供している。また、投資相手国が外貨持ち出しを制限したりあるいは戦争発生時などの緊急事態についても貿易保険が適用されることがある。1997年には約15兆円にのぼる取引に保険を提供しており、そのうち4%が中・短期取引きであった。国際協力銀行が融資を提供するプロジェクトは通常、貿易保険でカバーされるようになっている。 原子力資機材についての日本の公的経済協力がどのような条件の下で行なわれているかは、前項で述べた通りである。貸し付け金の償還期間や利率などはOECDの輸出信用ガイドラインの中の「原子力発電プラント輸出信用セクター了解」に基づいている。そこで、ODAは使えない。しかしODAではなくとも、原発という大きな問題を抱えるものの輸出に公的資金で低利融資を行ない、その回収リスクを国がカバーすることはそもそも不当である、と市民グループは批判している。 1996年12月17日、参議院の外務委員会は、市民グループ「ストップ原発輸出キャンペーン」が提出した「原発輸出に公的資金や国の許可を与えないこと」を求める請願を採択し、内閣に送付した。残念ながら、実効性はまったくない。ただし、そのような請願が採択された事実は、広く知らされる意味があるだろう。 他方、原子力産業の側では、資機材の輸出はだめでも、「たとえばフィージビリティ・スタディ(FS)にODA予算を使えるようにすることはできないか」と政府に求めている。現状では、政府は、FSについてもOECDのガイドラインによりODAは使えないという解釈をしているようだ。そのため、日本企業によるインドネシアでのFSにもODAはつかず、OECDガイドラインに基づく融資が行なわれた。
4.輸出信用の実績
上述の輸出信用の実績については、ほとんど情報が公開されていない。わずかに開示された情報によって知られているのは、次の3件にすぎなかった。そこで、国際協力銀行に問い合わせ、ようやく追加的な情報を得た。 【公開情報によるもの】 @インドネシアにおけるFSへの融資 国際協力銀行の前身である日本輸出入銀行は1993年7月、インドネシアにおける原発のFSを受注した関西電力の子会社NEWJECに対する融資を決めた。約15億円の調査費から頭金15%を除いて査定した10億円弱のうち、日本輸出入銀行が7億円弱を融資、残分は民間銀行の協調融資である。決定に際し、日本輸出入銀行は「調査への融資と建設への融資は別判断」と強調していた。 NEWJECによるFSは、最終報告書が1996年5月にまとめられて終了している。 A中国秦山原発第V期計画への融資 日本輸出入銀行は1997年1月、中国秦山原発第V期計画(CANDU炉、70万キロワット×2基)用のタービン・発電機の購入資金として中国国家開発銀行への融資を決めた。総額28000万ドルのうち、日本輸出入銀行が16800万ドル(60%)を融資し、残分は日本興業銀行=当時、東京三菱銀行の協調融資である。輸出者のメーカーは日立で、伊藤忠商事を通して輸出する。 主契約者はカナダ原子力公社であり、同社が納入する原子炉系統にはカナダ輸出開発公社が、また、米ベクテル社が納入する変電設備にはEXIMが輸出金融を供与する。 秦山原発第V期計画は、1号機が1998年6月、2号機が1999年9月に着工し、2003年2月、11月の営業運転開始を目指している。 なお、日本輸出入銀行の融資は「原発関係の融資額としては、今回のケースが最高」と報じられている(1997年1月30日付原子力産業新聞)。 B北朝鮮の軽水炉計画への貸し付け 国際協力銀行は2000年1月、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)との間で、1165億円を限度とするアンタイドローン契約の調印を行なった。軽水炉原発(100万キロワット×2基)の建設に必要な資金を対象とするものである。 【国際協力銀行への問い合わせで明らかになったもの】 国際協力銀行に問い合わせた結果、1997年以降の実績を教えられた。それ以前については明らかにされていないが、大きな額のものはない模様である。 @秦山原発第U、V期計画関連融資 上述の秦山原発第V期計画に関連し、1997年1月、サプライヤーズクレジットとして11200万ドルの融資が契約されている。借入人は日本興業銀行=当時と東京三菱銀行である。この金額は、両銀行の協調融資の金額と一致する。また、2000年3月から4月にかけて3件のサプライヤーズクレジットが契約された。冷却材ポンプ18億4000万円のうち12億9000万円が三菱商事、三菱重工に、ガス絶縁開閉機29億1000万円中20億4000万円と、秦山第U期計画(PWR、60万キロワット×2基)用のガス絶縁開閉機30億8000万円中21億6000万円が三菱商事、三菱電機に、日本輸出入銀行から融資されている。 Aラグナ・ヴェルデ原発部品への融資 1997年7月に協調融資総額4000万円中3000万円を、同年同月に3000万円中2000万円を、1999年12月に1億3000万円中8000万円を、2000年5月に同じく1億3000万円中8000万円を、日本輸出入銀行がメキシコの連邦電力庁に融資している。タービン・発電機用交換部品の輸出のための融資だが、メーカー名は聞けなかった。 【その他】 ところで、1996年5月9日付の電気新聞は、秦山第U期計画に三菱重工が1号機用の原子炉圧力容器と、1、2号機用の冷却材ポンプ、充填ポンプを輸出するのにも「日本輸出入銀行の融資や貿易保険の適用を検討していく」と書いていた。「適用が決まれば、原子力資機材の輸出について政府の輸出信用が付与される初のケースとなる」と。 国際協力銀行への問い合わせでは、この件では融資は行なわれていないらしい。その理由は不明である。 なお、同時期に野党の国会議員らと市民グループ「ストップ原発輸出キャンペーン」が議員会館内で開いた勉強会では、出席した通産省の担当官が、運転中の秦山原発(PWR、30万キロワット)に三菱重工が圧力容器を輸出した際にも「貿易保険が一部についた」と発言したが、詳細は明らかにされていない。 ルポライターの諏訪勝さんによれば、前田建設が受注した中国広東大亜湾1、2号(PWR、各98万4000キロワット)の建屋建設用に約30億円を、大手商社受注の同原発の変圧器用に約5億円を、いずれも民間銀行と協調しF日本輸出入銀行が融資している。
5.断念されたプロジェクトの例
前述のように、入札に応じながら落札できなかった例が、いくつかある。また、1970年代には、三菱重工や日立が、韓国への圧力容器、タービン・発電機の輸出を、日韓政府の癒着問題の中で政治問題化を恐れて断念したこともある。 相手先の都合で、建設計画そのものが中止されたり延期されたりすることも少なくない。イギリスやトルコ向けの商談が、例として挙げられる。 輸出信用が得られずに断念された例はないとされる。但し、前述の秦山第U期計画の例のように、不明なものもある。 トルコのアックユ原発プロジェクトについて1997年当時の日本輸出入銀行に輸出金融の相談が、また当時の通産省に貿易保険付保の相談があったが、いずれもトルコ側の計画延期により具体化しないままとなっている。
6.原子力産業の再編
日本の原子力産業は、国内での受注が減り、将来性も不確かなため、合理化・再編が進んでいる。日本原子力産業会議がまとめた1999年度の原子力産業実態調査の結果によれば、原子力産業の売上高は4年ぶりに前年度より増加に転じ、1兆6800億円となったが、2年前の水準にも達していない。日本原子力産業会議では「先行きは不透明」と見ている。 原子力産業の各グループがつくっていた原子力専業の子会社は、1989年に日本原子力事業が東芝に、1995年には三菱原子力工業が三菱重工に、と親会社に吸収合併された。 各企業では、原子力技術者を火力部門、化学プラント部門に配置転換するとか、原子力機器工場で火力機器や化学プラント機器を製造するとかいったリストラが続いている。三菱重工では、1980年代半ばには三菱原子力工業も含め5000人規模の原子力部門の従業員がいたが、1990年代末には3500人に減っている。売上高は、最盛期の半分から3分の1程度に落ち込んだ(1999年12月4日付朝日新聞)。 日立、東芝の原子力部門でも、それぞれ1000人規模の人員削減が行なわれている。両社は1999年に社内体制を一新、「社内カンパニー制」が導入され、原子力部門は、日立では電力・電機ビジネスグループ、東芝では電力システム社に組み入れられた。 メーカー各社は、原子力資機材の受注の減少に加えて、電気事業の“自由化”のあおりを受け、火力発電プラントでの競争が激化している。独立電気事業者(IPP)に対して、これまで電力会社向けに出荷してきた価格の半値での販売が行なわれている。原子力資機材も大幅なコストダウンを迫られ、日立が中国にもつ合弁会社から復水器などを逆輸入するといった動きも始まった。 日立と東芝は、両社が米GE社や東京電力などとともに開発したABWRの輸出に向けて、1997年にはアジアABWR推進機構を設立した。さらに日立、東芝、GEの3社で原発事業の合弁会社の設立も含めた関係強化を模索している。2000年1月には日立、東芝、GEの核燃料部門が統合され、グローバル・ニュークリアフュエル(GNF)が設立された。もともと3社の共同出資だった日本ニュクリアフュエル(JNF)はGNFの子会社となった。 そればかりか、日立、東芝両社は、三菱重工とも手を結んで、ベトナムへの原発輸出に向け“オールジャパン連合”で臨むことで合意した−−と、2000年8月2日付の日刊工業新聞は報じている。日立、東芝はBWR、三菱重工はPWRという炉形式の違いにとらわれず役割分担を決めて受注をめざすというものだ。 これを機に、3社の原子力事業の統合にも拍車がかかった、と同記事は見ている。3社の原子力事業の統合の話は唐突に出てきたわけではなく、数年前から取りざたされていた。欧米での原子力産業の大再編に比して、日本では原子力開発当初の供給体制を今なお維持していると言われてきたが、今後の展開は予断を許さない。
7.輸出信用提供の決定メカニズム
通常、企業から支援提供の申し込みがあると、国際協力銀行はプロジェクトの実行可能性を経済・技術・環境等の観点から検討することになる。環境リスクについては、借入者の提出する「スクリーニング・フォーム」の情報に基づいてプロジェクトをカテゴリーA/B/Cのいずれかに分類し、カテゴリーAまたはBプロジェクトについては環境社会開発室による詳細な環境審査が行なわれる。融資提供が役員会で承認されれば、環境審査の結果を融資契約に反映すべく、融資業務担当部が借入人と交渉を行なうことになる。しかし原子力関連プロジェクトについては、上記とは異なる特別の手続きが適用されることを国際協力銀行も認めているが、それがどのようなものかは公表されていない。 貿易保険も国際協力銀行と同様のレビュープロセスを持っているが、環境室や役員会の役割は明確でない。核関連プロジェクトについては、核廃棄物の処理の安全性や事故時の対応等についてはレビューの対象とされているが、その手続きは明らかにされていない。興味深いことに、貿易保険が作成した核関連プロジェクトの環境情報フォームには、原子力関連リスクの項目は含まれていない。 ODAプロジェクトの環境レビュー手続きは、上に挙げたこれらの機関とはいくつかの点で異なっているが、新しい環境ガイドラインが2001年末までに作成・公表される予定である。
8.市民参加及び環境影響評価に関する規定
現行の国際協力銀行ガイドラインにおいては、環境影響評価が要求されるのは国立公園や湿地などの「センシティブ・エリア」で実施されるカテゴリーAプロジェクトのみである。国際協力銀行の融資案件の多数はカテゴリーBと分類されるが、そのうちいくらかは環境影響評価が要求される場合もある。最終決定前に市民が情報を手に入れコメントする機会は保証されておらず、また環境影響評価その他の環境文書は融資決定後も公開されていない(新しいガイドラインではこの点に関して前進が期待される)。
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