SCANE (Sarawak Conservation Alliance for Natural Environment)からの情報
2010年4月14日 ミリ発
Ba’ Puakの非定住プナン人は、幅広い支援を求めている。昨年、ロアガン・バヌ国立公園周辺の森林で行方不明となったプナン人男性の捜索救助活動を5カ月程行い、生活必需品が底をついてしまったからである。
プナン人の首長であるジェペリー・モヨン氏(28)は、捜索救助活動の維持を可能にするため、食糧や現物支給等を幅広く呼びかけている。モヨン氏は、「じきに飢餓状態となる可能性がある。深刻な食糧不足に陥っているため、支援を求める他ない。このような森林泥炭地帯では食糧を見つけることが困難であり、国立公園内への不法侵入で騒動を起こしたり訴えられたくはない。」と語った。
エマン・モヨン氏(33)は、11月2日に行方不明となった。ティンジャーにあるペトロナス(国営石油会社)が行っているパイプライン計画のキャンプ地で開かれた同社主催の文化行事に出演した後、噂によればロアガン・バヌ国立公園で吹き矢を使ったプナン人の狩猟法についてのビデオ撮影を頼まれ、姿を消した。撮影隊に脅されたとの見方もある。失踪後、プナン人は国立公園付近の深く生い茂った森林での捜索救助活動を行うコミュニティを発足した。マレーシア警察は11月もしくは12月に3週間の捜索救助活動を行ったが、失踪者の発見には至らなかった。マレーシア警察は、エマン・モヨン氏の追跡ができなくなり行方を突き止められなかったため、捜査を打ち切った。
当局は捜索救助活動を終了したが、8つの非定住プナン人家族の団体は捜索活動の継続を決定している。エマン・モヨン氏の生存を信じているため、捜索救助活動を止めない構えだ。
首長のジェペリー・モヨン氏によると、エマン・モヨン氏が失踪するに至ったのは、脅迫されたことで心的外傷を受けているために誰からも見られないよう身を隠している可能性があるとのことだ。「非定住プナン人は外部との関わりがほとんど無いため、このようなことが起こったのでは。」と、ジェペリー・モヨン氏は語った。
エマン・モヨン氏の妻、ウスン・マリン氏(26)と二人の子供であるマリア(8)とマシュー(6)は、依然としてエマン・モヨン氏の生存に期待を寄せている。「もし主人の遺体が発見――つまり主人が亡くなっているならば、私たちはそれだけで安心するでしょう。そして安心してBa’
Puakに戻ります。」と、ウスン・マリン氏は語った。
Ba’ Puakの非定住プナン人は、サラワク内の熱帯雨林に残った数少ないプナン人の非定住民である。Long
Selulungの居住地には、約15世帯が住んでいる。居住地は、サラワク北部のバラム地区内陸のトゥートー川上流のBa’ Puakである。
ロアガン・バヌ国立公園は広さが10,736haで、1991年8月29日にサラワク州政府より完全保護地域に指定された。Ba’
PuakのLong Selulungから約100kmの場所に位置する。
Sarawak Conservation Alliance for
Natural Environment(SCANE)のマレーシア国内コーディネーターであるレイモンド・アビン氏は、現在困窮している状況にあるBa’
Puakの非定住プナン人に同情の念を抱いている。アビン氏は市民社会団体、政府、民営機関、国民に、コミュニティの捜索救援活動への支援、及びBa’
Puakの非定住ペナン人への現物支援の提供を呼びかけている。送られる支援は全て、下記住所のSCANEを通じて行われる。
お問い合わせ
住所:Lot 1046 Shang Garden Shoplot, Jalan Bulan Sabit, Miri, Sarawak
電話:MY +60 85423044
Eメール:scanenews@gmail.com
【事件の経緯】
◆2009年11月1日
Ba’ Puakに住む非定住プナン人の首長ジェペリー・モヨンによると、Long Bedianから来た元バラム地区コミュニティの首長であるバラム地区の前ペマンカ
、ライン・ヨク(モヨンはこの名で知っていた)が居留地に来て、ティンジャーのLapok付近にあるKem-6計画地でペトロナスが主催する文化行事への出席を勧めた。その日、ジェペリー・モヨンは気分が良くなかったので、招待を断った。しかし、ライン・ヨクは行事でプナン人の伝統舞踊を披露するよう要請されたため、グループの誰かは出席すべきと主張した。ライン・ヨクは、行事が夜に催され、翌日の11月2日に出席したメンバーを居留地に返すことを伝えた。セラパン・マリン、エマン・モヨン、ニャゴン・マリン、バウイン・モヨンの4人がライン・ヨクについていくことになった。出発前、ジェペリーはライン・ヨクに、4人が居留地から外へこれまで出たことがないことを伝えた。ライン・ヨクは、4人の安全と福祉に関して責任を負うことに同意した。
その夜ペトロナス主催の行事で、4人はプナン人の伝統舞踊でそれぞれが4つの演目を演じるよう頼まれた。4人はアルコール飲料をすすめられたが、酒類には慣れていなかったため拒否した。
◆2009年11月2日
午前8:30に朝食を済ませた後、Ba’ Puakの居留地に戻るためペトロナスKem-6を発つ。途中、ロン・ラマ市場に立ち寄り、日用品を買った。それぞれが必要なものを買った後ライン・ヨクが、ロアガン・バヌ国立公園で吹き矢を使ったプナン人の狩猟法に関するビデオ撮影を行うため、ペトロナスKem-6へ再度戻ることを突然伝えた。
昼頃に、一行はペトロナスKem-6へ到着した。昼食後、ライン・ヨクはニャゴンと彼の妻バウインをキャンプ地に残し、セラパンとエマンをロアガン・バヌ国立公園へと連れて行った。
ペトロナスのキャンプ地からロアガン・バヌ国立公園まで、セラパンとエマンは撮影隊と思われる2台の四輪駆動車があとをつけるのを見かけた。ロアガン・バヌ国立公園で、木の上にいる猿を発見した一行は撮影のために立ち止まったところ、車も停車し、乗車していた人々が車から出てきた。そこでセラパンとエマンは吹き矢を使った狩猟の演技をするよう頼まれた。演技をしている間、セラパンとエマンは撮影隊がビデオカメラやカメラ機材を一切持っていないことに気が付いた。猿が森に逃げたため、演技は終了した。
一行は車へと再び戻り、付近のプランテーション地帯そして、ロアガン・バヌ国立公園を巡った。国立公園でライン・ヨクが文書に署名するために2人にある家に入るよう指示したが、拒否された。再び巡り回った後もなお、2台の四輪駆動車は依然として後をつけていた。その時すでに、日没も近づいている時間であった。
セラパンとエマンはしきりに、何も撮影していないのだからキャンプ地に戻るよう、ライン・ヨクに頼んでいた。ライン・ヨクは、公園内を観光で見回るだけだ、と返答した。セラパンによると、ライン・ヨクは動揺しており、ロアガン・バヌの丘で2人が止めるまで運転を続けた。ライン・ヨクは2人に車を降りるよう指示したが、拒否された。そしてライン・ヨクは車を降り、車から離れて行った。
しばらくして、ライン・ヨクは戻ってこないと思い、2人は車を降りた。降りたと同時に、2人はこれまでずっと後をつけてきた2台の車にいた約10人が、対峙する形で歩いて来るのを見た。
2人は迫ってくる人々に恐怖を感じ、また彼らの奇妙な動作に脅えた。エマンとセラパンが安全のために森に逃げたのが、この時である。セラパンは、3人が自分を追い、2人がエマンを追っていたのを見た。セラパンは、護身用に所持していた吹き矢で威嚇し、追手を撒いたと語った。
夜になり周囲は既に暗かったので、セラパンはエマンを追えなかった。その時から、エマンは行方不明となる。
◆2009年11月3日
セラパンはエマンの行方が突き止められず、Oil palm plantation roadsからLapok ― ロン・ラマmain
roadまでの森林を追跡した。幸いなことに、セラパンは地域住民にLong Bedianまで送ってもらい、そこでニャゴンとバウインと再会した。ライン・ヨクが昨日、ニャゴンとバウインをLong
Bedianにまで連れてきた。セラパンは事件のことを2人に伝え、共にBa’ PuakにあるLong Selulungの居留地へと戻った。
◆2009年11月4日
Ba’ Puakの非定住プナン人は捜索救援活動を開始した。付近の森にてエマンの足跡がいくつか発見されたが、残念ながらエマンの行方は突き止められなかった。
◆2009年11月7日
ロン・ラマ警察の巡査部長ワヒド・アブドゥラがエマンの失踪届を受理した。その後、約14人の警官とGeneral Police Force(PGA)が1週間の捜索救助活動を開始した。
◆2009年12月
警察は2週間、別の捜索救助活動を開始したが、エマンの足跡をたどり、突き止めることはできなかった。警察は、エマンは依然ロアガン・ブヌ地域付近のブキ・リマウ周辺の森林で逃亡中だと考えていた。
◆2010年1月
警察は、捜索救助活動を終了した。成果をあげられなかったため、この失踪事件の打ち切りを決定した。
◆2010年2月
テラン・ウサンの議員リハン・ヨクは50人の捜索隊を編成し、エマンの行方を捜した。捜索活動は2週間続いたが、エマンの行方を突き止められなかったため、捜索活動は断念された。
◆2010年3月
Ba’ Puakの非定住プナン人はエマン捜索のため、彼ら自身での捜索を続ける。ロン・サヤン村のプナン人とその首長アジャン・キウが、コミュニティの捜索救援活動に協力及び参加した。
◆2010年4月6日
セラパン・マリンがミリ中央警察署にロアガン・ブヌ地域でのエマン失踪事件に関する警察の調書を提出した。
非定住プナン人の首長ジェペリー・モヨンからライン・ヨクに関する警察の調書がとられた。
◆2010年4月7日
プナン人の首長アジャン・キウとジェペリー・モヨンが、サラワク森林公社(SFC)ミリ地域担当マネージャー及びロアガン・ブヌ国立公園担当の社員2人と会合を開いた。SFCは2週間のみの捜索救助活動という目的で国立公園へのプナン人の入場を許可したが、失踪者が見つからない場合、期間の延長をすることができた。
アジャンとジェペリーはAssistant Residentのアブドゥル・アジズに会い、行われている捜索救助活動の概要を伝え、ミリ住民局に支援を求めた。
ジェペリー・モヨン、セラパン・マリン、アジャン・キウ、ウスン・マリンと彼の娘マリアが、ミリで記者会見を行った。
◆2010年4月8日
関係当局が未解決の失踪事件を打ち切った後、Community Emergency
Search and Rescue Task(Co-ESART)部隊というコミュニティが、エマン・モヨン捜索協力のための市民社会団体によって形成された。Co-ESTART部隊はSCANEによって組織されている。
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